10月11日
煽動の淸國兵十二人を捕縛
東學黨の動搖、淸人の煽動[電報十月九日
午後九時八分仁川發、同十日午前十時三十分
廣島着]
東學黨の擧動に關し、先日來洛東附近の各
兵站司令官より達したる報告による時は、
安東、醴泉、龍宮の方面はまず鎭定に歸し
たりといえども、豊基、丹陽、報恩郡地方
は今なお該黨の巢窟にして、支那人數十名
も黨中に加わり居る由。これらの暴徒鎭壓
のため、目下附近兵站地より憲兵及び守備
兵を派遣しつつあり。右は深く顧慮するに
足らずといえども、察する所、牙山の殘兵
等これを煽動せしによるものならん。また
先日來、報恩地方その他に於いて、支那人
都合十二名を捕縛し、目下仁川に向け護送
中なり。詳細は後日に讓る。