12月1日
日本軍の消息
東學黨征討軍の消息[廣島十一月二十九日
午後特派員發、十一月二十八日午後七時仁川
發、同十一時廣島着]
山路分進隊より今日までに到達したる報告、
左のごとし。
二十三日淸風發東路分進隊長の報に、賊、
榮川に集合の確報に接したるを以って、京
城より派遣の一中隊と共にこの賊を討たん
とするに、賊は江原道寧越地方に逃走した
るの報に接したるを以って、この中隊と協
議し、事に從わんとすとあり。その後報知
なし。
二十四日發在淸州南少佐の報に、賊は西山、
文義、魯城の各地にあるよし。
またこの隊は、二小隊より成る支隊を陽川、
錦山、珍山を經て淸州に至らしめ、本部と
殘余の隊は、西路分進隊と合するの見込み
なりとの報あり。
また文義發同少佐よりの報に、二十三日文
義の賊を打ち払い、賊の根據地至明樓を衝
き、賊七名を倒し、七名を生擒す、賊は西
南の方位に退却せり、至明樓の賊は一萬余
なりと。公州附近には賊二、三萬集合し、
內、支那兵四、五十人あるよし。この隊は
二十五日燕岐、二十六日公州に於いて西路
分進隊に合する予定なり。
仁川 伊藤兵站司令官