5月23日
●朝鮮の內亂に就て 朝鮮東學黨の暴擧に就て
は過日來再三記する如く八百の官兵已に派遣して
其鎭定も近きにあらんとのことなりしに前號欄外に
記せし其筋に達せし京城發の電報に依れば賊勢益
す猖獗を極め征討の官兵戰はずして遁走し更に四
五百の兵を派遣せんとするが如く賊勢中中熾なる
に似たり右に付吾社の聞く所に據れば今回の內亂
は從來屢屢各地に蜂起せしものと違ひ多少の兵器
も所持し居り且つ李朝五百年前後には革命あるべ
しとの豫言を妄信して三四年前より漸く其勢を
增し今や五六萬の衆に達し其之を統率する者の如
何なる者なるやは判然せざれど彼の崔時享等と共
に亂民の意向に乘じ外人を放逐して朝鮮自國の國
敎を立て倂せて君側の奸乃ち閔族を滅し自ら權柄
を握らんとの野心を抱き居る者ありて首領となり
操縱指揮稍稍巧みなりと云へば或は從來の蜂起の
如く眞に一時の暴擧に止らざるやも知るべからず
左れば我居留民保護の爲めには先に大島艦と交代
せし大和艦あり又筑紫艦も居れど亂民萬一我が居
留地に侵入せんか一萬有餘の居留人民を僅僅一二
艦にて充分に保護し得べくもあらず故に此場合に
至りては我政府に於ても勢陸兵を派遣せざるを
得ざることとならんも測られざれど斯くては天津條
約に依り淸國と交涉せざるを得ず事の危急なるに
際し斯る手緩き處置を爲し居り難きを以て愈愈危
急の場合には數隻の軍艦を派して直に陸戰隊を組
織し居留民保護の任を盡すべし且釜山には對馬警
備隊の如き義勇兵の組織もあれば是も大に保護の
策を講ずるならんか又已に世人の知る如く東學黨
中には四五名の日本人も加はり居る由なれど今聞
く所に依れば右は特に注意すべき程の人物にはあ
らで其內の一名は零落の餘り賣藥行商して纔に糊
口し居たる者が東學黨の一揆に乘じ全く糊口の爲
投じ居る模樣なりと云へば自餘の者も多分此一輩
なるべく乃ち彼黑旗軍の首領の名ありし者や支那
哥老會に投じたる者と比すべきにもあらずと云ふ