5月29日
○鄭李に代らんとす 李氏五百年の天下は鄭氏 ○少年英雄 光陽の住民にて張氏を姓とする本 ○東學黨の軍旗 東學人が軍中に推立て行く軍 ○全羅魁首の號令 全羅に於ける東學黨の首領 ○出沒神變 忠淸道に於ける東學人其踪跡今日
の代て治むる所となるべしと云へる豫言は今や正
に其實行に向ひつゝあるものゝ如く崔統領の上に
尙慶尙道安東府の住人鄭哥なる者を推し軍中一切
の權力は皆此人に歸せしめたる姿なるが此鄙
自から眞天王の心持になりて四方の黨衆を指揮し
居り黨衆も亦之に心服して他意なく此人必らず李
氏に代つて王位に立つべしと確信して疑ふものな
き由而して右鄭哥は本年四十二三歲の男兒なりと
年僅かに十四歲の一少年あり此少年も亦今回黨軍
の仲間入りをなして早く其諸豪傑中の一人に數へ
られ一方の大將に任ぜられて目下千百名の部兵を
制御し居れるが少年には似ず總ての掛引も中中巧
妙にして部下の兵は勿論局外の衆民よりも非常
の尊敬を受け居り昨今全羅道中にて此少年を知ら
ざるものなきに至りたる程なりと云へり
旗は朝鮮木綿にて作りたるものと金巾にて製した
るものと二種ありて其金巾の方は幅二尺四五寸長
さ七尺有餘ありて又木綿の方は幅一尺八九寸丈五
尺餘ありて其旗面には孰れも輔國安民暢義と大書
せり
崔法軒は此頃令を軍中に傳へて曰く我九隊の陣及
び二百人岐路の軍兵曩に輕輕しく羅州の境に進入
したるがため負褓烏合軍に敗られ且つ二十餘名の
味方を捕へらるゝに至れり我令に違背せる所の岐
路の諸將は軍律に照して已む無く之を斬に處し軍
を分つて三路に進み羅州の地に入ることは暫らく
之を待たん第一路の將は本府手下五千の兵を領有
し第二路の將亦同く本府の手下五千人を引率し共
に方略定むる所の地に陣營を置き第三路の將更に
本府手下五千人の兵を都督して其以外を巡監する
ために四面に派出し斯く方向を一定して各路將亦
妄りに輕輕の運動をなすこと無く勉めて據る所の
山城を堅守せよと其用意や頗る愼密
沃川に在りと見れば明日文義に在り昨懷德に在り
と思へば今鎭岑に走り出沒神變端睨捕捉すべから
ざるものあり特に其錢穀を散じて餓民窮人を救恤
するに至つては益益之を忽かせにすべからず且其
上各所に勢揃へをなして日夜行陣の法を習練する
が如き其叛心竟に是除却すべからざるもの後患を
絶つは今日の處置如何にありとは在官氣慨者の嘆
息なり