6月3日
●東學黨の事 東學黨騷亂に付猶又昨日接手の
東亞貿易新聞に依り其要項二三を左に出す
△東徒運船を襲ふ 轉運使は陰曆四月十三日貢
米積込の爲め利運社の汽船漢陽號を靈光の九岫浦
に派遣せしに東徒は法聖前後の山及び九岫浦前後
の山上に陣を構へ刀鎗銃器等を携へて船內を襲ひ
船板を破碎し舟子を毆打し尙本邦人の毆打せられ
たるもありしと(前號に記せし大阪發電參觀)
△東學黨大將の號令 東學黨の大將なりと云ふ
李氏は此程各部隊長に對し訓令する所あり(大要
は已に前號に記せり)今其十二條の軍號なるもの
を聞くに左の如し
降者は愛對し 順者は敬服し 困者は救濟し 飢者は之に饋り
貪者は之を追ひ 奸猾は之を息め 貧者は賑恤し 病者は給藥し
不忠は之を除き 不幸は之を刑す
右の條條は吾儕の根本なれば若し此命に違ふ者
あらば之を地獄に囚すと云ふ
△靈光の東軍 一萬餘の東軍靈光郡に屯在し五
里許の間悉く路傍に伏勢あり而して日日相加は
る者四方より來り益益强大とならんとし各州邑と
互に交通して羽檄雹の飛ぶが如し云云
●東軍又官兵を鏖殺す 五月三十日京城發電な
りといふを聞くに左の如し
全羅地方東學黨の兵勢益益猖獗昨夜三箇の木砲
を放ちて錦山の官兵二百餘人を鏖殺せり但し金
隄に押出じだる賊兵八百人は官軍の爲めに破ら
れ五十三人捕獲せられたり韓廷にては猶槍兵若
干を出發せしむるの準備中なり
●東軍の占領地 現今全羅道に於て東學黨の占
領せし地區は凡そ左の如くにして其處には各夥多
の兵を以て之を嚴守せりといふ
羅州守兵八百餘人(京城を起る六十六里廿四丁)
光陽守兵千百餘人(同上七十二里十六丁)
扶安守兵三百餘人(同上五十里廿四丁)
興德守兵千四十餘人(同上五十六里)
高敞守兵六百餘人(同上五十六里三十二丁)
益山守兵八百餘人(同上四十里)
又首將及副將の兵營は寶城近傍にあり總勢凡一
萬六七百人にして尙日日增加の傾きありと