6月8日
●東學黨の隊伍 東學黨は殆んと 炮銃隊 鎗 隊 弓 隊 投礫隊
ひを以て今や全羅忠淸の要所を占領するに至りし
が其古阜石城等に於ける官、東兩軍の勢ひを見る
に東學黨は日夜益益其勢力を擴張し官兵は意氣
追追沮喪し行く者の如し殊に東學軍には地方富豪
の援助を爲すあり軍費糧食に差支なきのみならず
其隊伍も亦可なりに整ひ居れば平素食祿の手當さ
へ確ならぬ官兵の力にては迚も抵抗覺東なかるべ
し尤も軍器の破損を修むるの道なきに困じ居る模
樣なれど又其中大工其他の技に巧みなるものあり
なるものあり是は從來朝鮮人獨特の技にして礫を
攫んで之を投ずる恰も百發百中の妙あり戰始まる
際には此兵先づ先登して奇功を奏するの例なるが
中にも石城の戰の如き官兵の之に死する者三十餘
名に及びたり此外會計醫師等の準備もあり之を不
整頓なる官兵に比すれば秩序整然として優ること數
層の上にありと今同黨の戰隊を聞くに左の如し
斥候隊 騎兵隊 輜重隊