7月25日
日本兵が王宮を守り、閔一派は蟄伏
大鳥公使參內して、朝鮮國王に謁見したる
の結果、これまで韓廷の言える所は、果して
閔族の言える所にして、全く國王の意志にあ
らざること明らかになり、しこうして閔族の
最も忌み嫌う大院君は、宮中に留まりて庶政
を攝理することとなれり。王妃の權勢を賴み
にして王命を矯め、威福をほしいままにし、
自國の獨立を忘れてただ族勢維持に汲汲たり
し彼閔族の狼狽、想い見るべきなり。彼予め
これを思い、危急の場合には露國の保護に賴
らんことを約し居たれど、いわゆる危急の場
合とは、生命の危急なる場合の謂いにして、
今日のごとき場合とは、自ら趣きを異にすべ
ければ、露國に向かって賴らんようもなく、
もし哀請するありとも、露國決してこれを容
るるに由なかるべし。今ただ賴むは淸國のみ、
淸國も閔族を、果していかに處せんとするや
知らざれども、これより先、袁世凱は予め國
王が大院君を召すべきを知り、これに先だち
國王を誘出せんと欲して、密使を閔族に送り、
閔族これに應じて相諜謀し、避暑を名として
國王を賺したれども、事行われず、よって更
に大院君の入城を妨げんとして、彼のごとく
韓兵を使嗾し、發砲せしめたるも意を果さざ
るのみか、日本兵入りて王城を守ることとな
りたれば、袁の密使は王城を出ずるあたわず、
城內に蟄伏せりと傳う。