明治28年(1895)
1月22日
▲東學黨の形勢 東學黨の擧動に就て▣種種の
訛傳行なはるゝことなるが余は本日主務官を▣▣
談偶偶東徒の事に及びたるに主務官は熱心に東徒
の近況を物語られたり世人の知る如く東學黨は脅
迫を受けて加入したる土民五分と無賴の徒四分に
純粹の東學黨一分を加味したる所謂烏合の衆にし
て其の戰鬪力なき推して知るべく隨つて昨年以來
征討に從事したる我日本兵の負傷は只二名のみに
して死者一人もなし朝鮮官兵の死者二人と負傷者
四名あるのみ斯の如き次第なれば彼等が勢の猖
獗ならざるや推して知るべし且つや我精練なる日
本兵の配置は彼東學黨を袋の鼠と化せしめたり看
よ京城守備隊第十八大隊よりは江原道の寧越へ一
中隊の兵を送りて其傍近に於ける鎭營となし而し
て忠淸全羅兩道の賊に就ては第十九大隊大擧して
討伐しつゝあり此の十九大隊の道行を擧ぐれば忠
淸道より全羅道へは三筋の道ありて此中間の道は
南少佐自ら部下の一中隊を率ゐて中堅となし兩道
には各一中隊を分遣して左右の翼となし之に朝鮮
兵敎導中隊二百人壯營統營經理營の兵千四百人を
從へ進發し以て悉く忠淸道の東徒を一掃したり然
るに賊は全羅道の羅州に向て逃走し今は同地を根
據地となし居るを以て右の三道より進攻しつゝあ
り爰に又先月廿七日釜山の守備隊より一中隊の兵
を派遣して賊の海岸を沿ふて逃走するものを防止
せんが爲に進發中なりしが本日は最早必ず全羅道
の順天に到着の筈なり此釜山中隊が順天に達する
の道筋に左水營なる地あり此處に賊の多少集合し
居るとの報ありたれば中隊は喜び勇んで進擊した
るに未だ着せざる前筑波艦は直に左水營に押寄せ
海上より一擧に砲擊し悉せしかば中隊が同所に達
したるときは賊の隻兵を留めざりしと云ふ此の如
き次第なれば進攻の期日より算するも明日には大
槪賊を全滅し盡すならんと云ふ尙第十九大隊が全
羅に押寄する途中に於て有名なる賊將全琫準ヽ金
介男の二人を泰仁にて捕縛せりといふ