3月5日
東學黨大巨魁生擒
全祿斗(琫準)は數日前の通信に於て陣歿の旨を報
じたる彼の崔時亨と竝び稱せらるゝ東學黨二大巨
魁の一人にして昨年來東學黨暴亂の主唱者は卽ち
此者なり其後聞く所にては大體の軍配は全祿斗よ
り出で平時崔時亨は忠政
領たりしと云ふ而して此に大首領の一なる崔は嚮
に戰死し全も旣に慶尙道諄昌に於て民兵の爲に
捕獲され日本兵に引渡され他の崔慶善、洪落寬、
朴鳳陽、金得明、孫化忠、金邦瑞、高恒宅、權豊
植等と共に今日を於て日本公使館に護送され來り
ぬ余は一見彼れの相貌の眞に東徒首領として恥ぢ
ざるを見たり彼れは足部に銃傷を受け居り且つ其
後他の病氣發して今は餘程危篤なるものゝ如く擔
架に乘せられて來り其儘公使館の前廷に据ゑらる
井上公使は試みに其何の故に此の暴擧に及びしや
を詰りしに彼答るやう他意あるにあらず恰も中央
政府に於る奸侫を拂はんと計畫しつゝありしに當
り昨年六月(韓曆)日本兵京に入りしと聞き共に斥
攘せんとし遂に義兵を擧ぐるに至れり我東學黨の
軍其衆や訓練なし其の武器や玩具的なり人に武器
に共に精銳なる日本兵に打勝ち得べしとは素より
信ぜざる所然れども君辱しめらるれば臣死す斃れ
て後止むの決心を以て起てり義兵を擧ぐるの前余
は今一應日本軍入韓の本旨を確め▣とし一片の照
會書を日本公使館に送りたるも使者は恐るゝ所や
ありけん其書を南大門外の酒家に託して歸り來れ
り當時其書にして若し速かに貴公使館に達し居た
らば余等の運動も斯く迄は暴ならざりしならんと
公使は更に此る暴擧をなし地方良民を苦るしめ果
して義兵の本旨に戾るなきやと問ひしに彼更に曰
く東學黨の義兵を起せるに乘じて之を好機とし多
年地方官の虐政に苦しみたる地方人民が百姓一揆
を起せるものをも尙東學黨の所爲の如く世人より
誤り考へらるゝに至つては眞に遺憾なりと今日は
法務衙門よりも參議若しくは主事一人立會ひ領事
館にて取調べをなし更に法務衙門の法廷にて審問
に附する筈なり全祿斗と共に押收し來りし書類は
直に調査に着手したるが隨分重要なるものにして
種種の祕密を摘扞し得るの媒ともなるべしと聞く