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1차 사료

사람이 하늘이 되고 하늘이 사람이 되는 살맛나는 세상
東京朝日新聞 동경조일신문
  • 기사명
    明治28年 3月 5日
  • 이미지
    prd_0132_020 ~ prd_0132_024 (366 ~ 370쪽) 이미지
  • 날짜
    음력 1895년 02월 09일
일러두기

3月5日
東學黨大巨魁と
其口供

東學黨の大巨魁全祿斗(琫準一に亦明叔と云ふ)崔
時亨(法軒)等が朝鮮に於て上下老幼の別なく知ら
れ居る事は老西鄕が西南暴動の巨魁として上下老
幼の間に普ねく知られ居ると毫も異なるなし左れ
ば昨日全祿斗が不思議にも(韓人より思へば)生擒
せられて我公使館迄護送せられ遂に領事館に交付
せられたるを聞くや滿城相傳へて騷立ち珍らしき
偉人物を見物せんと陸續出掛くるもの一時は日本
領事館門前に黑山を築きぬ全祿斗は足部の銃傷未
だ癒えざる上に餘病發して危篤に陷り居るの故を
以て內田領事は直に京城守備隊の大野一等軍醫に
治療を請ひたるが生命には別條無かるべし左れど
も直に之を朝鮮人の手に引渡すときには無論十分
の手當てを與へざる可ければ危險なるの恐れあり 當分領事館內に留置して救療し一と通り健康を回
復せしめて引渡すことにせられ昨日來同人を臥さし
めたる儘にて取調べを始めぬ法務大臣徐光範氏は
大に東學巨魁の就縛を喜び日本軍隊の功勞を謝し
來りたりし、左は東學黨征討軍獨立第十九大隊司
令官南少佐が捕獲の當時に全祿斗を取調べられた
る口供書なり頗る東學黨の眞相を窺知るに足るも
のあり

其方は姓名を何と云ふや

姓名は全琫準、歲は四十全羅道古阜に住す

何月何日何處に於て捕はれたるや

十二月二十八日(韓曆)淳昌避老里に於て民兵
の爲めに

其方等士民を煽動し亂を圖りし理由を詳細に
申立てよ

余等田舍に生長し世事に踈くして日本政府の
我國に對する政略方針を知悉せず本年六月以降
日本兵陸續我國に來る是必ず我國を倂呑せんと
するならんと昔時壬申の禍亂を思ひ出し國家滅
亡すれば生民何ぞ一日も安んずるを得んやと人
民疑懼の念を生じ余を推して首領となし國家と
滅亡を共にせん決心を以て此擧を圖りしなり

抑抑我國、兵を朝鮮に出したるは隣國の交誼
を重んじ朝鮮を淸國の羈絆の下より救ひて獨立
國たらしめんとせしものにして實に大義の軍な
り之をしも思はず敢て抗敵の軍を起す別に深き
故あるなき乎

余等亂を圖りしは亦深き理由なきに非ず卽ち
閔族勢ひに乘じて官を賣り職を賣り下に苛稅を
徵し民の膏血を絞り之を盡く淸國に致して歡心
を得るの料となす斯る奸賊去らざる可らず且は
全羅監司苛稅を布き民を虐ぐるに依り之に堪ふ
る能はず依て監司をも除かんことを謀りたるのみ

其方等は古阜縣監の苛政を憤り兵を起せし
ものにてはなきや且兵を起すには他に使嗾者あ
らんと思考す如何

兵を起せしは他人に煽動せられたるに非ず使
嗾せられたるに非ず只一個の考へを以て此擧を
計りしなり、大院君の令旨云云は決して此の如
き事件に關係したるものに非ず吾今再び政府に
出でたるに依り皆安堵して其業を勵めよとの令
旨なりし余等は古阜及び長興の縣監を憤り昨
年四月金州に至り弊政二十七ケ條を指摘し監司 に上訴し暫く命を待つ中各所に人民蜂起し余を
推して首領となし余は已むを得ずして起てり

日本政府義兵を出したる理由は其方等今日迄
知らずや

今日始て之を聞く我初より日本義兵を出し我
國を助くるの情誼を知らば全羅道人民を說諭し
共に日本の味方たる可かりしに却て日本軍に抗
したるは實に遺憾なり

我本國政府は何處迄も朝鮮國をして一の獨立
國たらしめん方針なり其方等思ふに獨立國善き
か屬國善き乎

屬國の不可にして獨立國の可なるは我國より
之を知る然るに政府の侫奸なる輩來りて人民に
向ひ假令日本我國をして一時は獨立國たらしむ
るを得るも之を永遠に保續する能はず早晩淸國
の爲めに覆へさるゝは明かなり故に今より大國
に從ふを利なりとの布令を出せしものあり故に
人民此言に惑ひ遂に斯る有樣に立至れり

如何に考ふるも汝等の暴擧は蓋し汝等の一存
に非ず其方等を使嗾せし者あるに相違なし現に
金介男(不良黨一萬の首領にして東學黨の別働
軍長たりし者)全州に於て殺さるゝとき自分は
殺さるゝ謂れなし我を使ふ者の罪なりと云ひし
ことあり之に依つて見るも必ず使嗾者あらん

張喜用なるものは暴惡なる接主にして南原府
使及武南營の宋司馬を殺したり余恩津に在るの
日余と金介男を誘ひ淸州に行かんことを勸む余其
時は之に從はざりしが金介男は連れられて淸州
に至り敵と交戰し張喜用は彈丸に當りて死した
り必竟金介男は張喜用の爲めに賊名を蒙むり事
を誤られたるに依り常に之を遺憾に思ひ居たる
爲め殺さるゝ時此言をなせし所以ならん

張喜用は一の接主にして問ふに足らず必其
方等の上に立つて使嗾せるものあらん、申立の
如何に依り大に罪の輕重に關す依▣▣▣儘申立
てよ

我上に立て我等を使嗾せし者決してなし然る
に只昨年十月と十一月との間に於て閔族より李
樞使召募使の職を帶び來り我等に話すに政府に
奸者ある爲め政修まらず故に一日も早く之を
▣かざる可らずと余元來兵を起したるは京城に
至り政府の奸賊を除かん爲なれば何ぞ彼等の言
を待たんや然るに我等の上京に先ち日本兵多く 京城に入込める爲め其意を果さゞりき

當時召募使(閔黨より出で居れり)の話に假令閔
族現政府より退けられ流離四散するも一たび令
旨を發せば如何なる事をもなし難からずと云り

閔族より來る召募使なれば其方之に對するの
感情如何なりしや

何の感情もなかりし

其方元來閔族を斃さんとして義兵を起したり
と稱す而して閔族より來りし召募使に對して何
の感情もなかりしとは如何

前言甚誤れり我其當時は閔族より來りし者
なりしや否やを詳にせず然るに其れより三日
目に政府(無論新政府なりと知るべし)より地方
に出で居る召募使を捕縛すべき旨の令下れり此
に於て始めて閔族より出でしものと覺れり

閔族は已に政府より退けらる之を知れりや

仄かに之を聞知せり

大院君は如何なる人なるや

大院君は長く政を行ひ威權甚盛なりしも
當時は老耄して政を執るの氣力なく元來我國
の政を誤りたるも皆大院君の爲めなれば人民
之に服せず

士民は大院君を戴きて之に服せり又大院君も
士民の我に服し居るを自信せり故に士民に告示
を傳へたる所以に非ずや然るを士民大院君に服
せずんば如何

士民は何事なりとも大院君に服せずと云ふ意
に非ず我國從來より爲し來りたる兩班常人の
制を廢したることには服從せずと云ふ意なり

其方等が擧兵したる大目的を包まず白狀せよ

元來我等が兵を起したるは閔族を倒し弊政を
釐革せん目的なりしも閔族は我等の入京に先ち
倒れたるを以て一旦兵を解きたり而して其後七
月(韓曆)日本軍大に京城に入り王宮を圍みたる
を聞き大に駭き同志を募りて之を打拂はんと再
び兵を擧げたり只余の終局の目的は第一閔族を
斃し一味の奸臣を却け弊政を改革するにあり又
轉運使を廢し田制山林制を改正し小吏の私利を
營む者を嚴に處分せんことを願ふのみ

李氏五百年にして亡ぶ云云の豫言は如何

皆此豫言を知れり然れども其何の意たるを知
らず亦此の如きこと決してある可らず我王を廢し て亦誰をか戴かんや

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