3月13日
●朝鮮時事(二月廿八日)
京城 靑山好惠
東學黨征討軍の凱旋
明治二十八年二月二十八日は近來稀なる大雪にて
曉より午に至つて尙歇まざりしも今午後には東
學黨征討に赴き居りし日韓兩軍凱旋すと聞きて余
は正午頃雪を衝き馬を驅て龍山津に赴きぬ朝鮮大
君主陛下は特に軍務大臣逍義淵を勅使として之を
郊迎せしめ慰勞の勅語を下さるゝの事あり井上公
使は代理として杉村一等書記官を遣はし京城守備
隊長馬屋原少佐は守備兵二中隊を率ゐて同く龍山
に出迎ふ其他日韓人士の歡迎する者多し
東學黨征討軍の內第十九大隊の第一中隊と壯衛營
兵二中隊より成る東路分進中隊は昨夜廣州に泊し
第十九大隊の第二中隊と第十八大隊の一部隊と敎
導中隊と第十九大隊の本隊とより成る西路中隊は
昨夜水原に泊し第十九大隊の第三中隊と壯衛營兵
三百とより成る中路中隊は昨夜龍仁驛に次し何れ
も今曉を以て凱旋の途に上り先頭は午後二時半已
に龍山津に入り午後四時半に至りて全軍全く龍山
に着し終りぬ
全軍着し終るや日韓兩軍隊は各其指揮官の命令下
に萬里倉の平野に整列し點檢終りて隊形全く整ひ
飛雪瞑䑃の中に立つこと少時頓て勅使の臨場あり東
學黨征討軍指揮官南少佐全軍に令し勅使に對して
捧げ銃の禮を行はしむ勅使(軍務大臣趙義淵俄に
差支起り軍務協辨權在衡代理す)は南指揮官に向
て左の意味の勅語を傳ふ
一に隣邦の交誼に依り此沍寒の天に當り南道峻
險の山谷を跋涉して幾多の苦難を經吾國の爲め
に東學匪徒を剿討して一國の治安を保全し地方
生民を塗炭の苦中より救はる朕深く其高誼を嘉
し其功勞を謝す
南少佐は更に之を全軍に傳へ一同捧銃敬禮の上少
佐は勅使に向て左の答詞を奉つる
大朝鮮國大君主陛下特に不肖等が東學黨討滅の
功を奏して凱旋せるを嘉みせられ殊に優渥なる
勅語を賜はる一同と共に恐懼に堪へず大日本帝
國後備步兵獨立第十九大隊長東學黨征討軍指揮
官陸軍步兵少佐從六位勳四等南小四郞衆に代り
謹んで奉答す
是に於て南指揮官は大朝鮮國大君主陛下萬歲を唱
へ全軍之に和し更に大日本皇帝陛下萬歲を唱へ全
軍亦之に和して三唱す聲山谷を撼かせり此に於て
式全く終る東學黨征討軍が十一月十二日全軍肅肅
龍山を發し三路南下してより今日に至る迄日を經
ること百十餘日戰ひを交ゆること實に大小數十流石の
東學大亂も遂に鎭靜に歸し畢るに至りぬ豈朝鮮の
爲めに其功を謝せざるを得んや、敎導中隊及び壯
衛營兵も歡迎の爲めに出でたり、獨立第十八大隊
は卽夜京城に歸り第十九大隊は萬里倉のバラツク
兵營に入れり余は更に南少佐を陣中に訪ひ東學黨
征討中の奇事逸談を聞きて深夜に及び遂に龍山に
泊せり