5月11日
●東學黨の實相
左に記するは東學黨征討軍司令官陸軍少佐南小
四郞氏より聞ける所なりとて在京城通信者より
報じ來れるものに係る頗る東學黨の實相を窺ふ
に足るものあり
(一)東學黨の統系
道主 敎長 奉敎 執綱 大正 中正 奉道 大接主 小接主 私接接主 接司 省察 禁察 大統領
道主は大先生とも稱し卽ち崔時亨なり
敎長、奉敎、執綱、大正、中正、奉道等の六種は所謂
官名にして大接主、小接主、私接、接司、省察、禁察
等は職名なり而して大統領は沃川、永同、靑山等の
地方に於て初めて聞く所にして他に此名を有する
ものあるを聞かず
右三邑の大統領は鄭時權なり(朝鮮未來記に李氏
亡びて鄭氏興ると云ふ事あるよし之を以て妄信者
の名けしものか此者は捕縛するを得ず)崔時亨の
弟子徐章玉と云ふものあり學力才智衆に冠たり
而して徐章玉の弟子に全琫準、金海南、孫化中等
あり此等の弟子は徐章玉の學力方術共に崔時
亨の右に出ると稱し終に南接と唱ふるに至れり之
を以て崔時亨の弟子は師に勸めて北接と唱ふるに
至らしめたり之を以て東學黨には南接北接の稱あ
り南接は忠淸道の西部及び全羅道の全部を統括し
北接は忠淸道の東北部及び其以東北を統括するも
のゝ如し
(二)東學黨の敎義
東學道は一種の宗敎にして宗敎に要する諸性能は
皆完備せるものゝ如し然れども其良否に至ては確
固たる斷定を下す能はざるなり其敎義に至ては拜
天主義にして其經文は多く周易、禮記、春秋、大學、
論語、毛詩等の古文より拔萃せしものゝ如し又因
果の理法を說くには主として動靜の理を以てし造
化の靈妙は皆天に歸す何となれば其呪文中下の如
きものあり曰く「侍天主造化定永世不忘萬事至」之
を無究に唱ふる時は降神すと其降神の時に至れば
又「至以今之願爲大降」と是等は北接の唱ふる所に
して南接は「奉事上帝造化定無窮無窮萬事至」と云
ふ其他北接と南接と大差なきものゝ如し此の如く
なるを以て東學黨は敢て革命的宗敎と云ふにあら
ず然れども未開の人民は能く宗敎に心醉し易きを
以て人心は大に斯道に入り依て大亂を引起すに至
れり
朝鮮國に在ては儒道と雖も其形跡を止むるのみに
して實效なく佛法も同樣にして高山岩窟等に寺院
を設けあるのみ人民を敎化する事等は何れの地に
於ても見る所なし
(三)東學黨と騷亂
東學黨は前記の如く宗敎上より大に勢力を得て官
吏の黜陟及び其政度等は彼等の左右する所となり
道主の命令なき以上は新任の縣監等も其人民を使
用する事能はざる境界に至りたるは官吏其職務を
盡さず收斂のみ惟れ務め人民の疾苦に注意せず己
れの利福のみを圖るに依る人民は官吏を敵視し官
吏を盜賊の如く思惟し隨つて上は大君主陛下の鴻
恩を忘れ下は自己の職業を顧みず其日を生活すれ
ば明日あるの計を思はず只に天主の我を助くる
と云ふ事を忘信するに至れり然るに煽動者は其呪
文中の侍天主造化定と云ふを同國韻音助我鄭と相
通じ卽ち鄭氏は我等を助くるものなりと揚言し是
に至て宗敎は變じて騷亂の源由となり又多少學力
ありて人民を塗炭より救はんと欲する義者は卽ち
巨魁となりて王師に抗するに至れり全琫準、孫化
中の如き是なり是に由て之を視れば東學黨は貪官
汚吏の爲め興らんとする民亂に利用されたるもの
と斷定するを得るなり
(四)巨魁の不一致
各地方には各各巨魁と稱するものありて配下を統
率すと雖も巨魁を統率する大巨魁あるなし崔時亨
は東學黨より云ふ時は卽ち大巨魁なり然れども騷
亂より推知する時は大巨魁と云ふを得ず何となれ
ば忠淸道の西部及び全羅道は敢て崔時亨の指揮を
受るものなければなり(此地方は全琫準、金海南、
孫化中、宋文秀等の配下なり)而して各巨魁は各
自の意見に依り各地方に於て起包し(起包とは彼
等の黨類を集むるを云ふ)己の意思を決行せんと
欲せしものゝ如し此故に巨魁中にも惡逆無道にし
て各地を暴行せしものあり▣山縣に居住せる陳基
瑞(捕縛するを得ず)の如きは最も暴行せしものに
して之が爲め錦山、龍潭の如きは槪ね烏有に歸し
たり沃川地方は吾一相(捕縛するを得ず)の起包に
して最も暴行せり此の如くなるを以て或地方に於
て主領たる接主善人なれば其地方は慘害を蒙る事
甚だ少し
舊六月以前の東學騷亂は略一定の指揮者ありし如
く推知せらる乃ち處處の戰場に於て分捕せし書類
中には彼等の往復書類あり是等を閱するに巨魁と
巨魁と交通せしものなれども皆以前に係る者にし
て此度の騷亂に關しては一も交通せし證跡を得る
能はざればなり
(五)東學黨の再興
東學黨は昨年舊六月の末に一先鎭定に歸し然る後
又再興して當隊等其鎭定に派遣せらるゝに至れり
何に依て一旦鎭定したる東徒が再興したるや又前
興の東徒は今起の東徒に異なるやを探知するに彼
等は全く貪官汚吏の爲めに興りたるものなるが故
に前興の東學騷亂は韓兵の失敗したるにも拘はら
ず一先鎭定せり是れ政府の改革行はれ地方政事の
能く行はるゝを見込み且つ大院君も政府に出頭し
閔族已に倒るゝを以てなり然るに其後革新行はれ
ず且つ日本兵は京城に入りたるを好時期とし失敗
せし閔族は種種の飛語を作り東徒を煽動したるな
り巨魁全琫準曰く我等の起りは全く閔族を撲滅
するを以て第一目的とせり日本兵を打拂ひ朝鮮國
を安全にする事は第二の目的なりと之を以て何人
か煽動したるや明かなり全羅道に於ては全く閔族
の飛語に依り再興したるものゝ如し(蜚語とは日
本兵は王城を包圍せり、大院君の首に刀刃を附し
强迫す等なり)