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1차 사료

사람이 하늘이 되고 하늘이 사람이 되는 살맛나는 세상
  • 기사명
    明治27年 6月 6日
  • 이미지
    prd_0133_012 ~ prd_0133_017 (400 ~ 405쪽) 이미지
  • 날짜
    음력 1894년 05월 03일
일러두기

6月6日
●朝鮮戰記
(五月廿六日仁川發通信)

◎朝鮮政府祕密を嚴守す 暴動地の形況は
監營より政府へ發する電報に因りて知るの
外他に探聞の便なき▣近日朝鮮政府は電報
總局に嚴令して完營及び錦營より來る電報
は一切他に洩す可らざる旨を以てし大闕內
に於ても三政六曹▣樞機に▣する者の外に
は決して洩さゞることに定めたり

◎韓廷の三度ビツクリ 今回の騷亂に就き
朝鮮政府の意外に出でたるもの三度に及べ
り昨年の東徒は一片の綸旨と魚允中の按撫
とにより容易に解散したるを以て今度も亦
此▣に據り說諭を以て鎭撫せんと謀りたる
に毫も其▣なかりしこと是れ其一なり旣に
說諭の效無きを▣めたるも八百の征討師一
たび其地に到らば渠等烏合の衆風を聽て潰
散するならんと想ひたるに却て反動の勢を
激して倍倍猖獗を逞ふするこ▣是れ其二
なり洋式の練兵を以て編成したる征討軍は
英氣凜然隊伍森然として向ふ所敵無からん
と恃みたる甲斐も無く其百人は脫奔して行
衛を知らず之が爲に軍氣大に沮喪したるこ
と是れ其三なり此の如く每事意外に出でた
れば韓廷の驚慌も亦其故なきにあらず

◎外兵借用の議排斤さる 外兵の力を▣り
て鎭壓せば一も二もなしとの無雜作なる議
論は早くも廟堂の一隅に起れり外兵と言へ
ば無論差詰め淸兵に外ならざるべし然れど
も朝鮮廟堂亦人あり何ぞ此妄議を容れんや
乍ち左の反論に依りて排斥されたり其要に
云く今や東徒の猛勢不測或は皷行北上の患
なしとすべからず最も痛悶に堪へたりと雖
も然れども內亂を鎭壓するに外兵を以てせ
んは啻に自主自護の大旨に背くのみならず
偶ま以て外國干涉の端を開き其後患言ふ可
からざるものあり殊に淸日孰れの兵を借ら
んとするも天津條約の現存を奈何せん若し
之を破らしめんか兩國の爭論は乍ちに開け
て八路を擧げて淸日交鋒の修羅場たらしむ
るが如き大事に至らんも亦計るべからず我
國の無事玆に十年なるも畢竟兩國條約の賜
と云はざるべからず之れを是れ問はずして
漫に外兵借用を言ふ亦た思はざるの甚だ
しきものなれば自今以▣斷して之を口にす
ること勿れ云云

◎更に江華の兵を▣▣ 外兵借用の妄議
は前項の如く全く▣却せられて愈愈征討軍
を增發するに決し江華留守兼海軍總制使閔
應植は去る十八日江華に下り▣所の營兵五
百を徵發し同營の中軍徐炳薰を以て之れが
總將たらしめ彈藥四十餘萬發を準備し閔應
植は見送り旁旁同伴にて去る廿一日來仁、
海上の食用として麪包一千斤を大佛ホテル
より買ひ入れ雨天にて石炭積込みに手間取
りたる爲め翌二十二日午後五時朝鮮汽船顯
益號及び海龍號にて全羅道に向ひ早速上陸
し全州監營に到り待ち設け居る洪招討使の
軍と合する筈なりと云ふ

◎轉運委員擒となる 仁川轉運局委員金悳
容氏は性質溫厚にして內外人の評判宜しき
人なるが先頃從者二名を引き連れ群山より
漢陽號にて各處の貢米を集むる爲め出張し
たる所法聖に於て東學派に出逢ひ二名の從
者は卽坐戮殺せられ自身は擒となりて何處
へか連れ行かれたりと

◎官兵の脫走多し 官軍兵には全く勇氣な
く戰場の役に立たざるものあれば勇氣ある
も寧ろ官軍の爲めに働くことを欲せず賊軍
の爲めに死力を致さんとの考を懷くもの少
なからず自然將官の號令も充分に行はれ兼
ね憂慮も一方にあらざる由なりしが此頃の
確報によれば洪招討使が率ゐたる八百の兵
員中二百人許は何時の間にか營所を脫走し
行衛を失ひたるが其後の探訪によれば黑地
の制服を脫し白衣を着けて賊陣に雜り銃劍
を官軍に向け居る趣なりと云ふ

◎牛馬を掠奪せられ運搬の途斷絶す 全州
地方の東學黨は其後愈愈猛勢を逞ふし近傍
一帶の牛馬を殘りなく掠奪せしかば官軍は
物貨運搬の途全く斷絶し不便言はん方なく
此報京城へ達せしより廟堂の有司も大に之
を憂慮し此程顯益船にて兵員を增派する時
該一行が仁川港にて日本人使用に係る荷車
十五輛を購入し携帶したるは全く右等の爲
めなりと云ふ

◎貢米は敵の有となる 八道中全羅地方は
米の産出最も多く政府の租稅は金穀二樣を
以てする中にも全羅地方は大槪穀物の一種
を以て上納する慣例にして各地方の貢米は
便利なる沿岸諸港に寄集し更に之を海路當
港に運遭する都合にて每年今頃は恰かも此
時期に到來し左水營、右水營、木浦、古今島、 群山の諸港に寄集せる貢米の數量は隨分夥
多なるが之を回漕せん爲め漢陽號にて出張
したる轉運委員金悳容氏の如き生擒された
る如きの始末にして今僅に出張回漕の見
込あるものは群山の一港のみ他の諸港は悉
く敵の爲めに遮▣せられ全く彼等の有に歸
したりとの事なれば此儘尙ほ日數を經過す
れば賊軍の糧食充分にして官軍の糧食缼
乏を見るやも計られずと云ふ

◎糧米の欠乏 洪招討使が八百の兵を率ゐ
て仁川より群山に向ひ早速全州に着し監營
を固守し籠城的に敵▣睨合ひを爲し接戰を
試みざる間に城內糧食缺乏し粥を啜りて
僅に飢を凌き爲めに病患者を發したる由▣
て風說する所なりしが如何に東徒の勢猖獗
なればとて餘りとしたることゆゑ大に疑ひ
を存し確報の到るを期し前便にて其報道を
見合せ置きたるが其後確かなる邊より聞く
所に據れば全くの事實にて餘程困難の摸樣
なりしが此頃に至りては萬萬斯る患ひはあ
らざるべしとの事なり

◎白山の戰 白山の戰に於て東學黨大勝利
を得たるが其詳報に據るに官兵は前後二軍
に隊を別ちて進擊を始めたるに前軍は敵に
圍繞せられ全く敗れを取り此報直に後軍に
聞えたれども最早救援の見込なく却つて我
隊までも危急の恐れあるより其儘兵を麾き
て本營に引き取れり然るに本營の大將は武
士にあるまじき怯懦の所業なりとて大に憤
怒し遂に將校は首を刎ねられたりと大將が
斯る處置に出でたるは寧ろ他に深▣のあり
たることならんも其結果は却つて反對に出
で禦くべからざる危險を避けたる爲め斯く
も殘酷の處罰を受くるならば斷然出陣せず
して處置せらるゝの優れるに如かずと不平
を鳴らす者少なからざりしと云ふ

◎慶尙道の東學黨 慶尙道は何かに附て元
來人氣惡しき土地柄なり而して昨年より本
春に掛けては地方官の苛斂無情に不平を鳴
らす者殊に▣きを加へ曩に咸安郡に暴動あ
り頃者殊に金海府に民亂ありて是等は一と
して不平熱の溢れ出でたる結果ならざるは
なし然るに又又最近報に據れば豫ねて洛東
江源の洛東山邊より此方尙州地へ掛けて出
沒し暗暗忠淸全羅の同志と氣脈を通じ居た
る東學黨員昨今全忠二道の同志と氣焰相呼
應したるものにや漸く勃興し始め其擧動兎
角穩ならず太邱監司以下各地方官は警戒
頗る怠りなしと云ふ

◎忠淸道は格別の事なし 忠淸道の東學は
畢竟全羅道の東學に呼び起されたる姿にて
未だ格別の猛烈を現はすに及ばざりしが一
團の人民義勇軍起りて遂に懷德に屯聚せる
東徒を悉く擊破したるより同道は稍稍平定
に傾きたるが如し

◎行商者呼戾しの照會 朝鮮政府より我が
駐在外務官に向け昨今所在暴民騷擾其危險
少なからざるに付貴商人の內地に行商する
者は悉く呼び戾されたく尙ほ自今行商に出
でんとする者も差止められたしと照會し來
りたるも各所に散在居所常なき多數の行商
人を呼び戾さん便もなく又區域を限らず一
體に行商を差止むると云ふは時體輕からざ
る儀なれば我が當該官に於ては昨今出願す
る者に對しては唯其意を諭すに止めたり

外國人は無事ならん 昨年暴動せし時の東
學黨が目的とする主義は種種茫漠の中にも
外人排斥の精神充分に想見せられたり然る
に這回の騷亂地には日本人は十數人滯在し
此他支那人及び歐米人等の旅行する者鮮か
らず或は彼等が其主義精神を實に現はし多
少の妨害を加ふることなきや大に懸念なき 能はざる次第なるが近頃同城方に▣ける佛
國宣敎師より當港某洋人の許に本年は更に
昨年の如き擧動なく寧ろ却つて親和を重ん
ずる方にて無事なりとの由を報し來れりと

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