6月14日
內亂と國際問題
我國が朝鮮に兵を出したるは當局者の自稱
するが如く公使領事館及び居留民保護の爲
なり、然り直接には唯だ保護の爲めなりと
雖も旁ら亦以て國際問題の萬一に起る可き
を慮り之に備ふるが爲ならずとせんや
朝鮮を眞個の獨立國なりとすれば其內亂は
朝鮮政府の獨力を以て鎭定す可き者なり他
國の干涉す可きに非ず、朝鮮政府若し鎭定
するの力足らずして、賊軍却て主權を握る
に至るも猶ほ內亂は內亂なり、國際問題に
非ず從つて他國の干涉す可き者に非ず、更
に一步を進め朝鮮の主權者、其主權を以て
他國の兵を借り、雙方合意の上にて雇主と
被雇人との關係を以て其兵を使用する間は
亦唯だ一國以內の事のみ他國の干涉すべき
國際問題に非ず
今日の朝鮮事件卽ち玆に止まる然り表面は
卽ち玆に留る、朝鮮の現政府獨力を以て賊
軍を平げ難きを患ひ淸國に出兵を乞ひ淸國
旣に其請を容れて出兵を遂行したるは事實
なり、唯だ淸國と我との間に天津條約の存
するが爲めに淸國の出兵通知に由り我も亦
出兵の自由を得、將た居留民保護の爲め出
兵の必要を感じ、出兵を遂行したること事實
なり、卽ち朝鮮の版圖以內に旣に兩外國
兵の駐在を見る、事甚だ國際問題に似たり
軍に內亂と稱す可き一國主權以內の問題に
非ずして他國の主權の之に聯關し旣に國際
問題の外形を作りたるに似たり、「主權と主
權との間に起る交涉を國際問題と云ふ」の
定義甚だ玆に加ふ可きに似たり
然れども未だ純然たる國際問題に非ず淸國
の兵未だ朝鮮の內地に於て一も其の兵たる
の發動を現はさゞればなり、縱し現はした
りとするも、未だ朝鮮政府の賴みに應じ被
雇兵同樣の形を以て朝鮮の內亂を鎭定する
其發動の範圍を超えて何等の發動を現さゞ
ればなり、我國の兵とても猶ほ朝鮮の內地
に何等の發動を現はすこと無し、有りとする
も公使館領事館及び居留地保護の範圍を超
る無きは明かなり、兩者ともに此範圍を超
えざれば出兵多しと雖も猶ほ朝鮮の內亂を
內亂視して國際問題視せざる者なり
唯だ夫れ一步此範圍を超え、淸國兵にして
內亂鎭定の發動に止まらずして朝鮮の主權
を左右し若くは其獨立を動すの發動を爲さ
んか、忽ち國際問題と爲らん、我國の兵と
ても亦斯の如し、或は亦主權若くは獨立に
關する迄に至らずとするも、朝鮮內亂の外
に於て我國兵と淸國兵と衝突する事あらん
か、國際問題又忽ち玆に生ず、內亂と國際
問題と相轉ずるの機、今や繫りて一髮に在
りと云ふ可し當局の大いに戒しむ可きは蓋
し玆に在り
朝鮮の內亂、一轉して國際問題たらんとす
るは列國の皆な豫想して亦豫じめ戒むる所
たるに似たり、淸國が兵を出したるも唯だ
賴みに應じて內亂を鎭定するのみの爲には
非じ、一は國際問題を萬一に慮かりて之に
備ふるの意無しとせんや、英國が東洋艦隊
の軍艦を其近海に碇泊せしむる者、露國が
鳥港の兵を朝鮮に派せんとする者、皆な國
際問題を氣遣ふが爲めならざるは莫▣、朝
鮮は東洋の禍機伏する所ろ、其の獨立の傾
きて私しに一國に賴るが如きの形跡を現は
す有るは列國の皆な默過し能はざる所なり
今日の形勢唯だ一步を轉ずれば至大至重の
案件と爲り、東洋に於る一切の問題を悉く
此大渦中に捲去られ列國皆な滿身の力を試
むる所ともならん、然れども斯の如きは列
國の欲する所に非ず、列國の深意は一に內
亂を內亂たるに止め、轉じて國際問題たる
こと無からしむるに在り、國際問題は卽ち一
國の欲する所に非ず、列國の深意は一に內
亂を內亂たるに止め、轉じて國際問題たる
こと無からしむるに在り、國際問題は卽ち一
國の亂に非ずして列國の亂なればなり、亂
を朝鮮一國の內に止め以て列國の平和を持
する卽ち列國の深意なり、唯だ平和は戰ひ
を以て買はざる可からず、戰ひの意無くん
ば平和必ず破れ、戰ひの意あらば平和多く
は成る、列國が事に托し兵を朝鮮の內外に
集むる者、卽ち機一轉すれば鬪ふの備へに
して實は其機を一轉せざらしむるの道なり
內亂の退きて內亂に止まると發して列國問
題たると唯だ夫れ百年東洋の安危の分るゝ
所歟戒めざる可からざるなり
●東學黨の決意
渠等の決意は那邊にまで達し居るやは未だ
窺ひ知るべからずと雖も事の起因に照し今
日までの擧動に依て觀る時は鼓行北上して
王都に迫らんとする迄の決意はあらざるが
如し渠等も外人斥攘なり內治改良なり幾
分かは國家的の觀念を抱持するものあるべ
しと雖も畢竟地方官の暴政に激して起りた
るものなれば其巨魁黨首の眼界も只地方に
限られ敢て鞭を揚げて本能寺を指すが如き
大膽者はあらざるべしと思はる只彼等は無
限の怨恨を地方官に向て晴さんと企て地方
官とあれば方伯守令より未吏部卒に至るま
で其肉を啖ひ其血を啜らざれば飽かざるも
のゝ如し左ればにや戰陣に於ても大に京兵
と邑兵(地方監營の兵)とに區別し京兵は是
れ王師なりとして敢て抗せざるは幾分か戎
器の銳利なるを避くるが爲めならんとは云
へ亦以て彼等が衷情の在る所を見るに足る
べきなり (以上二件五月卅日仁川通信)
●國王殿下、宗廟の地を思ふ 全州未だ
沒落せず唯だ危急なりとの報達するや王は
宗廟の地亂民賊子の馬蹄に懸けらるゝを憂
ひ禮堂を遣はして其實情を視察せしめんと
左の命を下す
雖聞匪▣之徒直入宗府(全州のこと也)不知
情形之如何廟殿敬奉之地有此騷擾不勝驚
悚卽遣禮堂奉審以來
而して全州今や賊の有に歸す王の衷懷果し
て如何
●五月三十一日 此日は是れ朝鮮政府が
終に力及ばず淸國政府に援助の兵を借らん
と申込みし日也而して此申込は袁世凱の手
を經て爲せしことは世の旣に知る處なり
●怪說傳ふ 此頃何れかの東學黨より釜
山監理署へ宛て一通の文書を送り越せしと
傳ふ其文にいふ
我徒期日の內擧て釜山日本居留地の見物
に出掛べき積りなれば汝官人共宜しく
正に其道路を淸淨に掃除して充分歡迎の
意を表すべし若し過つて此用意を怠たる
時は我徒襲到一衙を破滅すること彼の全羅
諸州に於けるが如くならん其期に臨んで
後悔すとも亦及ぶことなけん
國土騷亂の時に際しては訛言の流傳する其
常なり是等も亦或ひは虛構の浮說信を置く
に足らざるべしと雖も日本居留地など云ふ
に至ては奇怪千萬なり好しまた此ことをして
事實なりとなすも一種の脅嚇策に過ぎざれ
ば勿論狼狽に及ばじ
●行衛知れず(兵三百七十) 洪招討使が
率ひて賊地に赴きたる兵丁八百の內三百七
十餘名は行衛知れずなりしと或はこれ東徒
に降服せしにはあらざるか