6月27日
朝鮮に在りての
日淸の事局
居留者保護の目的一變して國兵撤去の問▣
となり、對韓政略一轉して日淸の折衝と爲
りたるは當事者の責任に於て多少の論ず可
き所無きに非ず、唯だ事局の益益急を告ぐ
る今日に論ず可からざるなり、今日は內に
對して當事者の擧錯を可否批評すべき時に
非ず、唯だ日淸焦眉の問題に對して決然の
斷案を下す可き時なればなり
淸國旣に我れに對して國兵の撤去を乞ひ我
れ旣に峻拒の言を發したり、此言や是にも
有れ非にも有れ、旣に發したる以上は我が
最後の斷言たらざる可からず、何等の事情
あるも▣て或は▣言を變ずる無く、一意唯
だ此言を貫く事を勉めざる可からず、淸國
兵を以て我れに此言を翻へさしめんとせば
我れ兵を以て此言を貫かざる可からず、淸
國にして自ら前言の無要なるを悟り、再び
我が國▣駐在の事に容喙せざれば則ち止▣
苟くも容喙する我れは卽ち貫かざる可から
ず▣之を貫く戰はざる可からず、戰ふ卽ち
勝たざる可からず、理にも有れ非にも有れ
開戰は必然の勢ひなり、淸國の所作も我國
の所作も總て開戰の方角に向ひ唯だ眞一文
字に進みつゝある者なり
當局者が在韓の帝國公使に發したる最後の
訓令として世に傳はるの說に由れば、是も
亦吾人の意に同じく「淸國再び容喙せざれ
ば止む、苟くも容喙する卽ち寸も釐も假借
すること勿れ」と云ふに在る者の如し、此訓
令や聊か人意を强くする者と云ふ可し、然
れども唯疑ふ、今や早や旣に、縱し淸國の
▣上に容喙する事無しとするも猶一步も假
借す可からざるに至れるに非ざる乎を、
淸國の擧動は往往にして朝鮮の獨立を無視
し又我が帝國を蔑 するに當る事あり、今
回の淸國の擧動或は與國相互の間に守る可
き範圍を超え、直接に朝鮮を屬邦の如く取
扱ひ間接に我れを侮蔑する迄の點に達せる
事は無き乎、若し此事ありとすれば我れは
唯だ彼れの此上の容喙を待つ可きに▣▣、
此上何の容喙無しとするも其の旣往の無視
旣往の蔑如▣して彼れをして大に其非を▣
らしむる迄に勇往直▣せざる可からず、骰
子旣に投ぜられ寶刀旣に▣を悅せり、十分
十二分なる滿足の結果を見ずして豈に止む
を得んや、豈に十二分の結果を見ずして止
むを得んや、今は實に區區の情實を顧るの
時に非ざればなり
淸兵果して韓王
を擁せし乎
昨日の萬朝報は報じて曰へり
●朝鮮國王平壤に退く 朝鮮國王は淸
兵に擁護せられて平壤に在り、平壤は地
雷火を敷きて要所を固め淸國軍艦五六艘
は絶えず大同江に碇泊せり
此報をして眞ならしめば、淸國旣に朝鮮の 參謀に其人ある乎
百萬の兵も唯だ一人の參謀其人に由りて動 淸國が朝鮮に對する者一に參謀を以て勝る
國王を拉し去り自家の藥籠中に納めたる者
なり、自國の營中に擁し以て朝鮮を保護す
るの實を示し、我國と戰ふの▣へを定めた
る者なり、淸國の驅引として最も賞す可し
と雖も、王を擁するは朝鮮の主權に干涉す
る者、朝鮮を屬邦視する者、與國の國威を
無視する者、而かも亦▣人が淸國此の上に
▣が駐兵の事に容啄
▣からずと云ふ者の一に非ざる乎、當事者
は何の眼を以て之を視る
く、參謀人を得て帷幕の計能く一髮を誤ら
ざれば百萬は千萬の用を爲す、參謀其人無
くして計る所ろ機を失せんか百萬の兵實に
十人を價ひせず、勝敗榮辱一に參謀其人に
在りと云ふ可し
、袁世凱が從來朝鮮に爲す所を見よ、彼れ翻
翻たる一小才子なりと云ふと雖も、朝鮮に
對し與國に對し淸國の國威を發揚するに足
る者多し、國王を拉して平壤に要したりと
云ふが如き卽ち敏中の敏なる者、優に一國
を他國に代表し列國と折衝するに足るの手
腕を▣せり、而して今回文水軍を率ひて朝
鮮に向ひたる丁汝昌の如き者、事を謀るの
才に於て遙かに世凱の上に在り、十五年の
亂に彼れが朝鮮の國父大院君を拉し去りた
るが如き吾人の猶ほ記臆する所に非ずや、
我國は兵の精、器の銳、糧の豐、彼に讓る
無しと云ふと雖も、其の謀に至りては一
一外務省若くは參謀本部より指揮號令す可
きに非ず、彼の地に派遣したる參謀部の中
に世凱汝昌に讓らざるの人物あるを要す、
彼の地に大鳥公使の在る事は吾人之を知る
又特に參謀部の彼地に設けられたるの事も
吾人知らざるに非ず、唯だ其の公使と云ひ
其參謀と云ふ者が未だ世凱の如く汝昌の如
き敏活の擧に出たるを聞かざるは吾人が殊
▣らに此言を作す所以なり、平和にもせよ
戰爭にもせよ今後の勝敗唯だ參謀の機敏と
遲鈍とに在る事を知らざる可からず