明治28年(1895)
3月5日
◎筑波艦の報導 筑波艦此頃全羅右道巨文島鎭
靑山鎭露兒鎭及び左道の防踏鎭を巡航したりし
に巨文島鎭兼靑山鎭僉使權東鎭露兒鎭僉使全國鉉
及防踏鎭僉使金景雲等は大に筑波に敬意を表し管
下の東學徒は目下全く平定せる旨を報ぜり
巨文島には目下長崎縣の漁夫納屋を設けて漁業に
從事し居れり
防踏鎭管下の安島靑山鎭管下の所安島(所安島
は今日まで全羅南東角の日本漁夫集合地にして殆
んど朝鮮沿岸に在る我漁夫の中心點たりし)は目
下日本漁夫は一名も滯在せず
筑波は巨文島にて紀元節を送り統營にて威海衛の
戰勝を祝し朝鮮官吏も來會せり
遠藤操江艦長より黑岡艦長に報告したる文面には
去る十八日全羅東徒の巨魁センロクト外八名を捕
縛して京城に送れりと
◎東黨に女丈夫あり 東徒中に一美人あり芳紀二
十二容色城を傾くの美色ありと云ふ名を李召史と
云ふ久しく東徒の間に在りて奔走し馬上に跨り長
興府を燒きたるときの如きは彼れ馬上にて指揮し
居れりと云ふ彼れ曾て夢に天神現はれ古錠を興へ
たりと東徒皆な尊むで神女となせり然るに長興の
一敗韓兵に捕はれ今や同地の鐵窓中に在りと云ふ
蓋し又た昨年の神童の如きものか