6月22日
全州回復の詳報
招討軍全州を回復す▣南道に於ける東學黨
の勢力は案外にも强大となり、去月下旬に至
りてはほとんど全羅道の七、八步を占領し、
去る三十一日には全州監營を陷れ、進んで▣
山府(京城を距る四十三里忠淸道との境に接
近せし所なり)に到り居りしが、朝鮮政府の
招討軍はひとまず忠淸道の公州監營に引き退
きて兵氣を調え、京城より派遣せし巡邊使李
元會の引率せし平安の兵丁五百、壯衛の兵丁
二百と合し、ようやく兵氣熾んに赴きしかば、
去る六日進擊して全州に向かい、同日東軍と
開戰して大勝を得、翌七日再び戰うて全勝を
得、賊兵三百余名を屠殺し、賊徒七十余名を
捕獲して斬殺し、ついに全州の賊兵を逐い斥
けて全州監營を回復せり。しこうして賊軍全
州を去りて逃去するを追擊し、賊魁と稱する
もの二名(十四歲と十五歲の少年)を殺し、
賊徒五百余名を屠戮せしと云う。賊軍は全州
に於いて大敗を來たしたる後、金堤(京城を
距る五十三里)に引き退きたる後、絶えて襲
來の狀なきを以って、察すれば兵勢大いに衰
えたるにあらざるか。また支那兵の到來せし
報に接し、暫らく鋒を避けて銳を養い、以っ
て他日の謀をなさんとするにはあらざるか。
東徒子弟八千人、捲土重來知るべからずとは
云え、今日の勢いを以って察するときは、敢
えて憂うるに足らざるべきがごとし。