大阪朝日新聞
明治27年(1894)
5月9日
●朝鮮の暴動(奸吏退治) 朝鮮慶尙道金海府に
過日來激烈なる民亂を生じ遂に府使を放遂するに
至りたる模樣を聞くに同府大山面と云へる所の人
民此暴動の中心となり子尹益なるものを首領とし
府民は一戶に付人夫一人を出さしめ之に隨はざる
ものは協和の意なきものとして家屋を▣▣し且一
貫貳百文宛の罰金を出さしむることと爲せしに豫て
府使の虐政に苦しめるもの日ならずして來會し其
勢凡そ七八千に及びたり是に於て尹首領は進軍を
令し直ちに府城に押入り府使趙駿九を駕洛國主露
王の廟園に幽閉し屬吏を補縛し尙趙府使を引立て
全海外の三浪津に追遣りたれば府使も今は力なく
遂に故鄕全羅道に立歸ることとなれり斯く暴民等は
其目的を達したるより一方には五衛將に對し管下
人民より强奪せる金品の返還を責め且大邱監營よ
り來るべき民亂觀察使の來着を待ち正邪の裁判を
求むるの準備を爲すと共に一方には其集合を撤し
去り農事に勤めしむることとなしたるが首領尹子益
は平素俠骨人に秀で一身南道の聲望を擔ひ居り今
回の事件には初めより生命を賭して事に從ひたり
と民兵等は騷擾の際は總て白巾を頭に覩ひ奸吏退
治の標識となしたりといへり