5月19日
●朝鮮民亂の事 全羅道古阜暴動の事は屢次記
載を經たり今又仁川通信に據るに右は古阜以下興
德、羅州、恭
り其煽動者は東學黨の手に在り其勢猖獗にして
古阜の縣官を捕へて之を焚殺したりとの急報韓廷
に屆り終に出兵征討の議に決し兵使洪啓黨
義の改稱)を招討使となし夫の親軍壯衛營八百を
附せしなりと然るに此擾亂と同時に忠淸道に於て
も亦東學黨一派の蜂起して淸州を圍めるあり巨文
島の簽使たりし趙義聞氏は命に由りて將に出營せ
んとすと云ひ其他或は西學黨の各處に勃興せんと
企て或は慶尙道金海の府民八千許り府城を襲ひ尙
露領近界に於て露國屯田兵の顯はれたりと云ふの
類流傳紛紛たりと云へり