닫기

연락처
기념재단
TEL. 063-530-9400
박물관
TEL. 063-530-9405
기념관
TEL. 063-530-9451
Fax.
063-538-2893
E-mail.
1894@1894.or.kr

동학농민혁명기념재단 사료 아카이브 로고

SITEMAP 전체메뉴

1차 사료

사람이 하늘이 되고 하늘이 사람이 되는 살맛나는 세상
大阪朝日新聞 대판조일신문
  • 기사명
    明治27年 5月 31日
  • 이미지
    prd_0136_010 ~ prd_0136_012 (10 ~ 12쪽) 이미지
  • 날짜
    음력 1894년 04월 27일
일러두기

5月31日

●東學黨擾亂の近狀 全羅、忠淸二道に於ける
亂民猖獗の模樣は前號の來電旣に之を報ぜり今本
月廿三日仁川發の報道に據り遡りて其狀況を
左に列載す

官兵の狀態 曩に亂地に出軍せし夫の八百の親
衛營兵は最初其選に當りし時孰れも接戰を厭ひ職
を辭せんとしたりしを(朝鮮兵は志願に由りて採
用し皆月給雇なり我巡査と殆んど同性質のもの)

假令亂地に向ふとも決して戰を交へしめずとの口
約を結び强いて之を派遣せしものなりければ其群
山に着港したる後は唯曠日彌久各所に駐屯せるの
みにして其の間或は兵器の半を奪はれ或は二百
の逆逃者を生じ糧食相繼がず連日稀粥を食し居
る有樣なれば軍に生氣なく後援の至るまで亂民に
對して進擊するなどは到底難かるべしといふ扨も
暢氣なる事かな

後繼の兵士 右八百の官兵は戰はずして自から
潰えたるものなるに夫の接戰の後敗積したる二百
の兵といへるは或は嚮に別路派遣せしめたる二百
の陸兵なるべしとの事にて韓廷にては一昨廿一日
後援として海龍、顯益の二汽船を以て江華島府鎭
の水陸兵五百を全州へ向け繰出せり

外國に依賴す 韓廷にては成功の期すべからざ
る事此の如きに因り此上は到底自國の力之を如何
ともする能はず外國の兵力に依賴するの外他に良
策なかるべしとの評議ありとなり

亂況視察 仁川警備の我軍艦筑紫は廿日亂況視
察の爲全羅近海へ向け解纜し先づ巨文島に赴き再
び仁川べ歸航せんとす豫て滯泊中の英國軍艦一隻
も同日廻航せり

兩居留地の靜穩 京城、仁川の我居留地は至極
靜穩なり地方より米穀其他の出荷は每每報道する
如く差して大なる影響を蒙らず

●又 近着の釜山發兌の新聞紙に傳ふる所を見
るに左の事項あり

鄭、李に代らんとす 李氏五百年の天下に代る
は鄭氏なるべしとの豫言は今や正に其進行に向ひ
つゝあるものゝ如く崔統領の上に尙慶尙道安東府
の住人鄭哥なる者を推し軍中一切の權力を執らし
め鄭哥は眞天王を以て自ら居り黨衆を指揮す同人
は本年四十二三歲の男兒なりとぞ

小豪傑 光陽の住民にて張氏を姓とせる本年僅
かに十四歲の一少年あり早く今回黨軍に加はり一
方の大將に任ぜられ局外の衆民よりも非常の尊敬
を受け其名聲全羅道中に籍甚たり

東學黨の軍旗 朝鮮木綿にて作りたるものと金
巾にて製したるものと二種あり金巾の分は幅二尺
四五寸、長七尺有餘あり木綿の方は幅一尺八九寸、 長五尺餘あり旗面には孰れも『輔國安民暢義』と大
書せり

全羅魁首の號令 全羅に於ける東學黨の首領崔
法軒は此頃令を軍中に傳へて曰く我九隊の陣及び
二百人岐路の軍兵曩に輕輕しく羅州の境に進入し
負褓烏合軍に敗られ且二十餘名の味方を捕へらる
るに至れり我令に違背せる所の岐路の諸將は軍律
に照して之を斬に處し軍を分つて三路に進み羅州
の地に入ることは暫らく之を待たん第一路の將は
本府部下五千を聞有し第二路の將亦同く本府の部
下五千を引率し共に陣營を置き第三路の將は更に
本府部下五千を都督して四方に派出し各路將妄り
に輕擧をなす無く山城を堅守せよと云へりとぞ

出沒變幻 忠淸道に於ける東學人は其踪跡を定
めず今日沃川に在りと見れば明日文義に在り昨懷
德に在り今鎭岺に走り端睨捕捉すべからざるもの
あり特に其錢穀を散じて餓民窮人を救恤するに至
つては益之を忽かせにすべからず且日夜行陣の
法を習練し其叛心竟に除却すべからざるの後患を
殘さんかとて憂慮する向多しとか

이 페이지에 제공하는 정보에 대하여 만족도를 평가해 주세요. 여러분의 의견을 반영하는 재단이 되겠습니다.

56149 전라북도 정읍시 덕천면 동학로 742 TEL. 063-530-9400 FAX. 063-538-2893 E-mail. 1894@1894.or.kr

문화체육관광부 전라북도청