6月5日
●吉松海軍大尉の朝鮮談 仁川淀泊の我軍艦大
島の乘組員海軍大尉吉松茂太郞氏は去月廿一日仁
川を出發し佐世保鎭守府に還り更に釜山に於ける
我居留人民保護を命ぜられ直に大島艦に乘込みて
釜山に赴き淀泊し居れり釜山は夫の東學黨暴擧の
地を距ること遠きに由り至りて平穩なる趣きなり
大尉は其際俄かに吉野艦に轉乘を命せられしを以
て去二日夜釜山解纜の白川丸にて歸朝し昨日午後
神戶に入り直ちに來阪して中の島花屋に投じ本日
當地を發して橫須賀に向ふべしといふ大尉が吾社
員に語る所に據れば今回朝鮮に於ける東學黨の內
亂は實に容易ならざる大事にて夫の朝鮮政府より
金嘉鎭氏を將帥とし八百の兵隊を附して全羅道に
派遣せし兵士は糧食の準備なくして飢餓に迫り戰
爭に堪へざるのみならず總數の七分は東學黨に降
伏せり且人民各地に蜂起して亂民に應じつゝあれ
ば益益猖獗を逞うし容易に鎭壓の見込なかるべし
と又支那軍艦の仁川に碇泊せるものは夫の平遠號
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▣…▣大和筑紫の二艦は仁川に碇
泊し英、佛、露等の東洋艦も仁川に在りて內地の動
靜を窺ひつゝあるが如しと云へり