6月6日
●隣邦の兵亂
隣▣頻に至る、曰く、東學黨の兵勢猖獗、旣に諸
州を陷れ、進んで京城に迫れりと、曰く、官軍之
を拒ぐ能はず、將に援を淸朝に請はんとすと、要す
るに賊軍は尋常鼠竊に非ずして、五百年の革命を
して事實ならしめんと欲する者なること明なり、
然れども賊軍が果して精銳敵なきや否は信ず可ら
ず、何ぞや、朝鮮の官軍由來傭役賤奴、食を軍門
に▣ふて以て纔に生活を爲す者、戰は其志に非
らず、風を聞きて而して遁るゝ者固より其性、而
して賊は則少くも死生を顧みざる不逞の徒なり
奔竄性と爲す官軍を以て、死生を顧みざる不逞の
徒に遇ふ、强弱の實旣に明なり、勝敗の數知る可
きを以なり、是を以て賊軍が官軍を走らしたれば
とて、是れ唯比較的猖獗のみ、未だ必ずしも精銳
無二ならず、況して之を隣邦精練の兵に比せば、
烏合の亂民のみ、一馬蹄の塵に値せざるべきをや
然れども怯弱なる朝鮮に在りて、其勢猖獗な
るは事實なり、官軍の力以て剿討する能はざるも
亦事實なり、是に於て乎外援を請ふの說あり、
朝鮮が援を隣邦に請ふに當り、東日北露を棄てゝ
淸朝に賴る、是れ事大黨得意の慣用手段なり、朝
鮮果して援を淸國に請はん乎、淸國たるもの藩屬
の實を朝鮮に收めんとするや久し、而して方今淸
國の四邊事なし、豈應援に踟躊せんや、淸國果し
て師を出して之を援はゞ、其我國に於ける關係は
如何ん、天津條約の一節に曰く、
一將來朝鮮國若し變亂重大の事件ありて、日中兩
國或は一國兵を派するを要するときは應に先づ
互に行文知照すべし、其事定まるに及びては仍
卽ち撤回し、再び留防せず、
是に由て之を觀れば、則條約の禁ずる所の者は、
事後の留防のみ、淸國にして援師を出さんと欲せ
ば則豫め先づ我國に向て一片の行文知照を爲
す乃ち可、我れ其行文知照に接して、更に其出兵
を防止すべき權利なし、而して淸國の出兵と與に
我も亦一片の行文以て淸國に知照し、以て兵を朝
鮮に出すも亦淸國我を如何ともする能はざる所な
り、然れども他の一國豫め先づ行文知照せずして
而して猥に兵を朝鮮に出さん乎、他の一國決して
其違約の罪を不問に附す可らざるなり、方今隣警
の急なる如此、而して淸國の朝鮮政略に於ける維
れ敏維れ捷、或は疾雷の如く、彼の半身不遂的平
生に似ざる者あり、天津橋下の繁華子が嘗て韓警
に▣するや、蓋し方寸旣に成竹あり、一たび請援
の公書に接せん乎、北洋水師忽ち渤海を越えんこと
知る可きのみ、是時に當り予輩の問んと欲する所
の者は行文知照の有無是也、彼れ或は約に背かん
乎、予輩其萬之なきを知ると雖も、我れ萬一の覺
悟あらんことを要す、覺悟とは何ぞや、條約違反
▣卽ち國權侮辱の罪を問ふべき事是なり、然れど
も彼れ外交に巧なりと稱す、恐くは此の事なから
ん、而して淸國の出師に至りては蓋事實なり、淸
國▣して師を出して朝鮮を援けたらんには、今後
の▣▣は如何ん
▣▣朝鮮の賊軍猖獗なりと云へども、怯弱なる官
軍に比較して之を言ふのみ、隣邦の精兵に遇はゞ
▣▣▣に▣せざるべきや彼が如し、淸國の兵弱し
と雖も、朝鮮官軍の比に非ず、況んや出でゝ他國
を援くる者、必ず選練の兵精銳の器なるべきをや
而して彼の賊軍猖獗と號すと雖も、由來烏合の亂
民なり、烏合の亂民に當るに選練の兵精銳の器を
以す、たとひ一勝一敗ありと雖も竟に剿討肅淸に
歸せんこと、蓋し難からざる也、淸國の朝鮮と、藩
屬の情古より實に然り、淸國嘗て一たび節制を
失ふて、而して我國朝鮮の獨立を促がし、諸强國
も亦竟に認めて獨立國と爲すに至り、淸國の悔而
して後知る可し、是に於て乎淸國の朝鮮政略は步
一步より進みつゝ、財政に干涉し、大事に容喙し、
以て漸く恩惠を賣りて、藩屬の實を收む、彼れ旣
に恩を賣りて實を收め、今又將に援師を出して國
亂を平らげ、威を以て國人を服せんとす、恩威竝
に施し、名實兼ね奪ひ、而して朝鮮の獨立此に空し
からざらんと欲するも得可らざる也、朝鮮の獨立
果して空しうして、而して曩に諸强國をして朝鮮
の獨立を認めしむべき先導たりし我國袖手傍觀す、
是れ果して國家の威武を保つ所以乎、果して隣交
の情義を全うする所以乎、甲申の亂より以來、我
國の朝鮮政略一定せず、漸く威信を失ひ、彼國人
をして我を謳歌せずして淸を尊信せしむるに至れ
り、左らでだに威信を失ひて冷遇の地に立てる我
國人が、淸國の恩威竝施後に於ける狀態如何ん、
外は威武と情義とを失うて而して內は則我國人
をして彼に於ける冷遇を甚しからしむ、是れ策の
得たる者に非ざる也、然らば則策の出る所如何
ん、我も亦兵を出して、恩威竝に張らんのみ
朝鮮國に變亂重大の事あり、則ち兩國兵を出すを
得可し、必ずしも彼の請援を待たず、唯一片の行
文知照を爲す乃ち可、是れ條約の許す所なり、何
を以てか請援を待たずして兵を出すことを得る、
變亂重大の事あり、兵を出して彼國に於ける我公
使館の國旗を警衛し、彼國在留の我同胞が生命財
産を保護するは國家の大義なるを以なり是れ實に
表面の辭令也、裏面に於ける臨機應變の功は意外
に多からん、何ぞや、淸國の援兵比較的選練精銳
には相違なし、然れども是れ賊軍との比較のみ、▣
未だ必しも無雙ならざる也、賊軍の强弱も亦比較
的のみ、未だ必しも侮る可らざるなり、故に援
兵果して至る、一戰の下に剿滅す可しと爲す者は
謬れり、而して賊ば旣に京城に迫れり、一勝一敗
の間、豈我軍の奇功を奏す可き機會なからんや機
會果して至るも、我軍にして京城に駐衛せずんば
其れ將た何をか爲さん、我軍果して京城に在り機
會果して至る、我軍の選練精銳、彼等と日を同じ
うして而して語る可らず、義勇性と爲し、敎練法
あり、其間に雄飛して向ふ所豈敵あらんや、果し
て一躍機に投じ恩威竝張ることを得ば、則我國の
東方に於ける勢力測る可らざる者あり、願くは一
隊の練軍を彼國に派し、京城公使館を警衛せしめ
て居留人民の生命財産を保護せしめ以て、機を待
ち變に應ぜしめん、兵は神速を尙ぶ、疾きこと烈風
の如くならざる可らず、一片の行文知照乃ち可、
何ぞ必しも躊躇せん、
嗚呼吾人は甲申の亂に於ける我公使の擧止を說く
に忍びざるなり、其餘朝鮮政略に失ふ所の者豈一
二にして止まらんや、皆大計の定まらずして、天
與の時機を失ふに在り、若し今又機を失はゞ千古
の悔あらん、知らずや北隣の露は背後に耽耽たる
を