6月9日 東學黨は舒川浦の沖に於て運送船及び漁船八隻 仁川領事の訓諭に依り日本漁船は悉く慶尙道 右二件京城より上海を經て達せし電報なり
●淸國兵 (同上)
淸國より朝鮮ヘ派遣の兵は李鴻章伯の部下にし ●朝鮮請援の事情 (同上)
朝鮮政府が東學黨變亂に就き今回淸國に向ひて ●朝鮮問題と外國公使 昨日は外務大臣の外國公使接見日なりしに各公 ●露兵朝鮮に入る (同上)
露國の兵朝鮮に入りし事は後報未だ其筋へ達せ ●東亞問題 久しく論客の談柄たりし東亞問題 ●暴徒の戰法 朝鮮の暴徒兜を被るあり陣笠を ●東學黨の隊伍 東學黨は官兵に比すれば秩序 ●東學軍中に外人あり 首將は鄭道會、左將は ●巨魁に關する一說 朝鮮亂民の巨魁は每每其 ●舒川浦、牙山 東學黨擾亂に關し本日の電報 ●在朝鮮の警察官 朝鮮に在る我邦人は八千餘
●東學黨 (
を掠奪す
東萊沿岸に引揚げ當分の中全羅近海の漁獵を罷
む
て其司令官は伯の參謀長たる何氏ならんといふ
何氏は年六十以上の老將なるよし
援兵を請ふに至りしは袁世凱氏の策略にて氏は
朝鮮王殿下に內謁して親しく此事を建議したる
ものならんといふ
(
使孰も接見を求めて朝鮮の形勢、之に對する我
國の方針等を詳かに聞取りし趣なり
ず露國の事情を知る者の說に露國が朝鮮國疆を
踰えて其兵を進入せしむるは今日に始れること
にあらず常に朝鮮國疆に徘徊し居れば今回の如
き變亂あるを以て時機を失はず進入せしめしも
のならんといふ
も今や實際に解釋せらるべき時機に到達せり朝鮮
の事變たる內亂のみ暴民の跳梁のみ雄邦精銳の兵
を以て之に臨まば枯を拉ぐ如くならん然れども暴
民の微弱を以て事小なりと思ふは沒見識の至りな
り淸廷が大兵を發して境に入る其志豈に唯東學
黨の鎭壓に止まらんや烏合の暴徒を征討する一二
大隊にて足らんのみ其數千若くは萬餘の大軍を以
て事に從ふもの寧ろ牛刀割雞に類せずや李鴻章の
智斯る拙計に出ざるべし以て知る淸廷の意此機に
乘じて大に其爲す所を爲し其欲する所を遂げんと
するに在ることを朝鮮の大患は東學黨にあらずし
て別にあるあり其獨立は實に危殆に瀕せり所謂存
亡の決する所今日に在り而して朝鮮の地勢たる東
洋の關鎖たり先づ之を握るもの優者の地位に立つ
之と密接の關係ある者環視して其爲すに任すべき
歟看す看す朝鮮の獨立を失ふをば坐視すべき歟朝
鮮の滅亡を以て東洋の平和を維持するに害ありと
爲す者ヨモ袖手傍觀せざるべし今回淸國の出師場
合によりては東亞大亂の端を發せんも亦未だ知る
べからず露兵旣に境を越えたりと傳ふるにあらず
や勿論露國の形勢今日に於て蠶食の志を逞く
すべしとも思はれずと雖ども兎に角今度の變は事
小ならざるなり多年伏藏したる禍機の竟に破裂し
たるもの事體豈に輕からんや朝鮮を以て東洋の巴
爾汗半島となす是に於て乎驗ありと謂ふべし
戴くあり巾を以て頭を裹むあり馬に騎るものあり
而して多くは刀を執れり其戰ふに當りては先づ砲
を放ち硝烟地を捲くの間を吶喊して直ちに馬を飛
ばし步勇之に從ひ勢風雨の如しと云ふ
整然たる隊伍を備へ其木木砲、弓箭等を容易に製
作し得べき工手あり又投礫隊の如きは韓人獨得の
技倆にして百發百中の妙あり夫の石城を占取せし
時の如きは此術を用ひ官兵の死するもの三十餘人
に及べりとぞ其他會計、醫師等の準備もある由な
り隊伍の部目は左の如し
砲銃隊 槍隊 弓隊 投礫隊
斥候隊 騎兵隊 輜重隊
徐薰角、右將は崔大雅、軍令嚴明にして作戰の法大
に觀るべきものあり其帷幕に參する謀士には確か
に外國人ありと說くものあり而して其何れの國人
かは未だ之を知らずと云へり
報道を異にし或は鄭氏なりと云ひ或は李氏なりと
云ひ其他崔氏、金氏等種種の風說あるも實は京城
に於ても未だ確知せられず多分首領と稱する程の
ものは無かるべく思はると頃日京城在留の本邦人
より或人への私信の端に見えたり
に見える舒川浦は公州の北より南流し西に折れ忠
淸、全羅兩道の境界に至て海に注げる錦江の河口
に在り又前號の附錄電報に淸國兵の上陸すべき地
を峨山ならんとせしは牙山の誤譯にして此地は忠
淸、京畿兩道の境界に在り素沙河を控える地なり
人なるに各領事館附の警察官吏は警部四人、巡査
三十二人に過ぎずと云ふ而して今度巡査二十人を
公使館保護として派遣せられたるなり