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1차 사료

사람이 하늘이 되고 하늘이 사람이 되는 살맛나는 세상
大阪朝日新聞 대판조일신문
  • 기사명
    明治27年 6月 12日
  • 이미지
    prd_0136_039 ~ prd_0136_042 (39 ~ 42쪽) 이미지
  • 날짜
    음력 1894년 05월 09일
일러두기

6月12日
●朝鮮と隣邦 (下)

抑淸國の朝鮮に干涉するや久し、而して其志
は收めて屬邦と爲さんと欲するに外ならず、夫れ
淸朝の國初朝鮮を征服してより以來、歲貢冊封、
名は則藩屬、而して其實は朝鮮未だ嘗て獨立を失
はざりき、三十年前我日本の維新更革は東方の局
面に一大變化の機を與へ、蕞爾たる朝鮮猶且つ世
界に搖り出されて、獨り波動を避くるを得ず、國
際交涉の事漸く起る、是の時に當り淸朝の國步艱
難、外を顧みるに遑あらず、宣戰媾和の權一に朝
鮮の爲す所、而して後淸國藩屬の名實竝に去りて
而して我國乃ち認めて獨立國と爲し、好を修め交
を通じ、三四外邦も亦相踵ぎて之に倣ふ、是に於
て乎淸國始めて悔あり、厥後我國琉球を收め臺灣
を討ち、國威東方に赫赫たり、臺灣は淸國の藩屛
にして、琉球も亦屬邦と自認する所の者、是に於
て乎淸國尋ぎて之を怒る、我の朝鮮と交りてより
日に親交を加へ、我れ朝鮮の爲に敎師を遣して兵
を練り子弟に授け、諄諄焉誘掖指導、友邦の義を
盡す、是に於て乎淸國の嫉知る可き也、夫れ悔い
て而して怒り且つ嫉み、鬱して猜忌の念と爲り、
發して報復の擧と爲り、而して後淸國の朝鮮政略
は積威を再燃して干涉是れ事とし、左手に藩屬の 名實を復せんと欲し、右手に臺琉の仇を報ぜんと
欲す、俗諺に所謂江戶の敵を長崎に擊つ者是也、
淸國の力を朝鮮に致す、只此の二事に在り、夫れ
淸國は朝鮮を屬邦視し、我國は其獨立を扶持す、
彼我の政略衝突せざらんことを欲するも豈得んや、
是に於て乎朝鮮に事大黨と日本黨とを見る、壬午
甲申に於ける京城の變は二黨紛爭の結果なりと雖
も亦實に彼我政略の衝突なり、爾來淸國は吳丁馬
袁の徒をして相踵ぎて韓廷後見の地に自立せしめ
細大干涉、傍に人なきが如く、袁氏に至りては則
駐韓十餘年、根堅く葉茂り、黨與廷に滿ち、時に
大事を企て、殆んど其志を得んとす、而して我
國の漸く韓廷と踈隔せざらんと欲するも能はざる
也、此の時に當り內亂起る、韓廷之を平定する能
はず、將に外援を請はんとす、細大干涉の袁氏豈
喙、を其間に容れざらんや、其我國に請はずして
而して淸國に請ふ所以の者是に於て乎明なり、果
して然らば則淸國今日の出師豈啻に援兵と謂は
んや、欲する所の大、望む所の遠、以て知るべき也
是れ吾人の疑を其間に容れし所以なり、

抑我國の朝鮮に於ける關係、淸國より舊且親し
きは彼が如し、而して近時我國が先づ朝鮮を認め
て獨立國と爲し、誘掖扶持、積年怠らざりしも亦
如此し、故に其變亂重大の時に當りては、力を盡
して救護し、以て友邦の義を盡し、以て朝鮮の獨立
を保全せざる可らざる固より論を待ず、平時は則
▣進國を以て自ら任じ、亂時には則棄てゝ而し
て顧みす、豈何の面目ありてか世界列國の間に立
んや、今や亂民猖獗、殆んど革命の兆あり、豈朝
鮮の大變に非ざる乎、假令大盜をして猖獗世說の
如くならざらしむるとも韓廷能く平ぐる能はざる
は事實なり、兎にも角にも朝鮮の大事、我れ豈傍
▣▣可けんや、或人曰く、我國旣に師を出す、亦
可ならざる乎、曰く、是れ自衛の兵のみ、援軍に
非ざる也、或人曰く、援軍固より可、然れども彼
れ援を請はず、名なきを如何せん、曰く、友邦の
爲に變亂を戡定す、義也、義を以て名を爲す、何
の妨か之あらん然れども彼の儀式に拘拘たる者は
視て以て戰國的辭令、未だ事の宜を得ずと爲さん
已むなくんば則一あり、唯我兵速に京城に入ら んに若かず、我兵にして京城に在らば、必ず一躍
の機あらん、機至るも兵なくんば其れ何を以てか
友邦の義を盡さん、假令表面に友邦救援の義を宣
言せずとも、好個辭令は則公館臣民の保護なり
夫れ東學黨洋倭斥逐を以て名と爲す、我國人の慘
禍に罹らんことを豫期せざる可らず、而して東軍
旣に京城に迫れり、京城の公館臣民我兵を待つ蓋
し旱霓の如し、我政府も亦之を知り旣に知照を經
て出兵の擧あり、而して未だ軍隊の入京を聞かず
豈韓廷我兵の入京を拒みたる歟、何ぞ其遲遲たる
如此きや、一朝淸國の擧措をして疾雷耳を掩ふに
及ばざらしめば、則ち恐らくは悔えるも及ぶなけ
ん、我國人往往皮相の文明を誇りて淸人の頑痴を
笑ふ者あり、而して時に或は淸人の愚弄する所と
爲る殊に朝鮮政略に至りては則讓步の嫌を免れ
ず、淸國の朝鮮政略、由來疾雷耳を掩ふに及ばざる
が如し、而して我は則往往文明的儀式を步趨し
て拘拘焉且つ時機を失ふ、嘆ぜざる可んや、想起す
甲申の亂に淸艦忽ち大院君を奪ふて卽夜南に走り
しを、當時我國の當該官如何に茫然爲す所を知ら
ざりけん、是れ固より淸國の慣用手段なり、今日
の事亦豈如此ならざるを保せんや、淸兵の朝鮮
着は嘗て旣に之を聞けり、而して未だ入京を聞か
ず、東學黨は京城に迫ること如此く急なり、援軍
たる者宜しく急に京城に入りて、一面賊を禦ぎ、
一面王宮を護すべきなり、而して或ひは傳ふ淸兵
は旣に牙山より上陸せりと、怪しむ可きの至なり、
客あり吾人に謂て曰く、予輩をして試に想像を逞
うせしめよ、夫れ袁氏は今や韓廷に得意なり、袁
氏にして宿志を成さんと欲せん乎、當に韓廷に勸
めて淸の一軍と日本兵との竝に京に入るを拒ぎ、
淸の一軍をして牙山に上陸せしめ、側面より東學
黨を逐うて入京せしめ、京城危ふきに及んで、閔
族を賺して急に難を仁川の支那艦に避けしめん、
名を救に託して實は之を艦中に拘し、一方には國
王に勸めて東學黨の首領を諭し、其罪を赦し其兵
を解きて、與ふるに官位を以し、而して新內閣を
組織せしむべし、旣に閔族を除きて恩を國中に布
き、又東學黨をして志を得せしめ、德を新內閣
に施す、八道を擧げて巧に囊中の物と爲し、而し て日本をして得る所なからしめんのみと、嗚呼堂
堂たる淸國豈斯る譎詐の事あらんや、然れども收
めて屬邦と爲さんとするは淸國の志なり、出師の
結果固より恐る可き者あり、而して獨立を扶持す
るは我國の義なり、苟も朝鮮の獨立を妨ぐる者あ
らば友邦の公敵也、彼れ援を請はざればとて、義
豈默止す可んや、

要するに朝鮮變亂の事あり、我國兵を京城に駐派
して一朝の急を援く、友邦の義なり、洋倭斥逐の
亂起る、急に公館臣民を護す、國家の務なり、此
の二者あり出師を遲疑す可らず、我兵旣に仁川に
到る、韓廷或は入京を拒むなきを保せず、曰く、
淸兵猶且つ入るを許さず、貴國兵も亦願くは入る
勿らんことをと、然れども淸國は洋倭斥逐の名に關
係なし、淸國公署と淸商と、或は危懼なからん、
我國は則然らず、亂民砲擊の命中點に立つ者な
り、曷ぞ其意に從ふを得ん、國家の務と友邦の義
とを以て名と爲し、一日も速に入京して一躍の機
を待ち、急あり乃ち之を救護し、獨立を妨ぐる者
あり、乃ち之を扶持せざる可らず、亦曷ぞ請援の
有無に關せんや、

露國出師の說に至りては則未だ確報を得ず、顧
ふに少くも船車の煤烟大陸を橫斷するの日に非ざ
れば、露國南下の旗を見ざる可し、而して生平の
欲する所は、冬日不凍の一軍港のみ、然れども彼
れ恐らくは兵力を以て之を得んことを欲せざる可
し、實に濡手粟的の機を待つ者のみ、當年淸國に
於ける英佛同盟軍の仲裁は、露國得意の濡手粟的
を博すべき機會にして、茫茫たる露領滿州數百里
の野を一言仲裁の餘に得たりしは此の時なりき、
知らず露國は如何なる機に乘じて不凍港を得んと
する歟、如何に今日の朝鮮事件を觀ずる歟、露固
より巨文島畔に英艦の走るを見る、英も亦圖們江
上に露馬の嘶くを聞く、我國固より二國の擧止を
邈視す可らざる也、然れども彼等は幕背覆面の人
のみ、壇場の老優は實に淸にして敵役は我國なり、
我國民たる者豈東洋の一大劇を傍觀して、東方百
年の大計を忘る可けんや、

●淸兵來(仁川に於て我社通信員發)

淸國兵一千バンボーに來れり

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