6月12日
●朝鮮の擾亂(承前)
露國公使の遠圖 咸鏡道に露兵二千人許り虛無
黨追躡を名として侵入し居れりとは曾て聞込みた
るが今其間の消息を窺ふに足るべき一事實を發見
したる顚末を聞くに左の如し
露公使ウヱバー氏は先年渡韓の際一日宴會の席上
閔氏に對し從容として語るに韓國の地開拓に就か
ざるもの多きを名とし吾國の力にて磽确を變じ膏
沃の土となし年限を期して咸鏡、平安北道一帶の
地を劃し貸與せられん事を以てせり當時閔氏は深
くも思念せず唯一場の冗談として之を聽流し輕輕
「宜しからう」の一語を笑ひながらに答へ置きけり
斯くて其後ウヱバー氏は歸國に臨み再び閔氏に面
して曩日の談緖を尋ね土地貸與の事果して如何と
推して質問せしかば閔氏は色を變じ其確言せる所
にあらざる由を答へしにウヱバー氏意色頗る烈し
く小官が露國の公使として發言せし事を朝鮮の代
表者たる足下其人にして食言の罪を負へるは小官
の忍びざる所なりとありければ閔氏は措く所を知
らず依違要領を得ず是より先きウヱバー氏の駐箚
せるや韓廷の重臣に結び金員を貸附けたる事無慮
我貳百七八拾萬圓に及べりウヱバー氏是に於て閔
氏の違言に對し一言其肺肝を刺し而して又强いて
之を督促する色なく國家の重臣は交際費抔を要す
る場合多し寧ろ之を政府の負債に組込まんには若
かずと且誘ひ且慰むるが如くなりき今回氏が淸國
に赴かんとする前に當り(別項參看)以上の事實が
或人の聞込む所となりしが右は旣に露兵侵入の噂
ありし時なりと云へり
京城に守兵なし 京城に於ける經理廳、總制營
扈衛廳、親軍營、總禦營等の諸隊に屬せる常備兵
は四千と號すれども實際は多くとも其半數に踰え
ざるべく今日に在りては旣に前後千五百許りの兵
士を亂地へ繰出したれば殆んど守兵なしと謂ふも
可なるが如し
黨軍經由の路 古阜を起點として今は進んで公
州石城に出でたる黨軍經由の路は前號所載の地圖
を按じて知るべきも今更に其摸樣を記せば元來忠
淸、全羅二道より京城に達するには山街道、海岸
道の二條あり黨軍は山街道を取りて石城に屯し居
り今後京城を衝かんとするには順路石城より忠淸
道の首府公州(監司あり、監營兵四五百)を經て錦
江を渡り天安、稷山、振威、水原、龍仁、杲川、
始興に進み麻浦若くは龍山津より漢江を渡り直に
南大門に達せんとするなるべし南大門は京畿、黃
海、忠淸、全羅、慶尙、江原の各道より京城に入
る集點なり
仁川碇泊の軍艦 目下仁川港には日本軍艦の外
支那軍艦平遠外二隻、米艦バルチモー等なり同港
は內、外兩港に分れ內港は月尾島內を云ひ外港
は島外を云ふ內港は非常に狹隘にして商船の碇泊
すら時時支障を生じ外港は漢江の河口にて淺洲あ
り先年日本艦隊の同軍艦入港せし時其不便を感じ
たる事ありき然れば今右諸軍艦碇泊の上露、獨、
佛等諸國の軍艦も漸次同港に向はんとする風說あ
るに當り其狹隘を感ずること一方ならざるべしと
云ふ又英艦アヲクリチーの同港より橫濱に入りし
は別項所載の如し
●日韓兩國の關係 を云へば左の事實にて最も
密接なるを知るべし
一貨幣 支那の貨幣は通用なきも日本の銀貨及
び紙幣を取交ぜ朝鮮國內に通用する者拾萬圓
前後なりとは近頃の調査なり
二日淸居留人 支那は京城に二千人仁川元山釜
合せて四千人に達せざるも日本は釜山のみに
て五千七百總人員八九千の間なり
三沿岸貿易 淸國は朝鮮海に於て一船も沿岸貿
易を爲す者なし日本の汽船にして平時朝鮮沿
岸貿易を爲す者
郵船會社 肥後丸 玄海丸 薩摩丸 東京丸 其他臨時船
商船會社 明石丸 白川丸 木曾川丸
此外大阪商船會社の所有船にして朝鮮政府に
貸與し洛東、馬山浦、木浦の間に沿岸貿易を爲
す者あり
四沿海漁業 朝鮮の漁業は全羅、慶尙二道の近
海にあり此地の漁業は日本人の占領する所に
して日本の漁船此地にある者四千艘に餘り而
して支那船は隻影も見るなし
●朝鮮事件と暗號電信 大阪郵便電信局は夫の
朝鮮事變に關する電信にして治安に害ありと認む
るものは電信條例第四條を適用して其傳送を止め
つゝある趣なるが私信電報中暗號を用ひあるもの
に對しては一局部長の意見に依り暗號の說明を求
むる向きあるも是は大體の文意が治安を害し若し
くは軍機軍略を漏洩すべき虞ありと思料したるも
のに限りて要する處條例第四條に依るものなりと
云ふ