7月8日
●朝鮮時事問答 是れ近刊の滬報揭ぐる所の論
說なり其當下の大勢を斷ずるに孺子妬猜の辯を以
て虛詭迂僻の論を飾り而して其中心一點の弱氣を
着くる處憐むべく笑ふべきものあり以て銷夏の好
材料と爲すべし例の拔抄下の如し
地球環游の客、後樂君の海上庽廬を過る時に識微
子、杞憂生と座に在り客、腕を攘げて言て曰く子
朝鮮の近事を聞かず乎金玉均の戮に就くや朝鮮國
王爰に國法を伸べ其尸を磔し其宗族を按誅す乃ち
東學黨なるもの遽かに敢て衆を聚め戈を稱し城を
攻め地に據り韓京に逼近す朝鮮は國小に兵孱し屢
次戰ひ屢次敗る員を遣はし秦廷の哭に傚ひ助を中
朝に求む中朝、葉、聶兩軍門を簡び▣を建て東行し
大義を天下に伸ぶ所謂王師時雨天に應じ人に順ふ
もの惟に朝鮮の官民感激涕零するのみならず當に
亦天下萬國の同聲快を留すべき者也此ごろ中西各
報を閱するに日本亦商▣を糾集し兵萬二千名を派
して前往せしむ竝びに聞く叛黨據る所の地日本官
兵ある甚だ多し亂を助くる乎抑も亂を平ぐるを助
くる乎解すべからざる已と後樂君曰く日本は小國
と雖も年來法を泰西に傚ひ發憤自から雄とす其兵
を遣るの意知べからずと雖も大抵亦亂を平ぐるを
助くる耳と識微子曰く然らず予甲申の事を觀て而
して日本の亂を助くるを知るや決せり其時中國適
ま法越の隙あり朝鮮の叛黨陰謀旣に定まり日本公
使に請ひ兵を以て宮に入り朝王を劫制し其大臣を
誘誅し宮門を守る朝鮮の國祚岌岌然として纍卵の
危あり慶軍宮門を攻むるに迨んで日本兵死傷纍纍
自から敵せざるを知り叛黨と與に朝王を挾み出走
す華兵窮追力襲日本兵乃ち朝王を路に置き而して
叛黨と偕に歸れり叛黨の法外に逍遙せるもの玆に
十載日本之を驅らず之を罪せず且從うて之を優容
豢養す而して叛徒を刺す者且囹圄に拘禁し判する
に死罪を以てす中朝の叛黨を待つや此の如く日本
の叛黨を待つや彼が如し今東學黨の亂は玉均の誅
せらるゝを聞きて起れる者也前後を統觀すれば則
ち朝鮮の叛黨は日本の倚りて以て陰かに朝鮮を覆
へさんとする所の者也然らば則ち日本の兵を遣る
は亂を助くるものにして亂を平ぐるに非ざる也と
杞憂生曰く甚矣日本の愚なるや (未完)