7月27日
●入韓日錄 (廿五) 西村天囚
十七日、是より先き東學軍の全州を陷るや慶喜殿
肇慶廟(在全州)其毁つ所と爲る此日新殿新廟成り
靈牌を廟中に奉ず韓廷百官參賀すと云ふ廟は李氏
の宗廟也東學軍彼の所謂五百年革命の讖を信じ鄭
姓を奉じて軍師と爲し李氏の宗廟を毁つ以てその
志を知る可し此の口流言あり曰く全羅道の羅州
に東學黨嘯集し再擧の兆ありと未だ信なるや否を
知らず
十數日前壯漢一隊一大旗に天祐俠と書し釜山より
全州に前進す此の日之を聞く天祐俠の一隊全州に
入りて監司の拘留する所と爲り遂に釜山に送致せ
らると未だ其事情を詳かにせず
東學黨又又暴發せんとす 全羅道羅州の府使は
曾て東學黨數十名を捕へて之を斬殺せし爲東徒之
を恨むこと甚しく此頃其餘黨羅州に集合して先づ
仇敵たる府使を殺し再び此處を本據として反旗を
揚げんとする形勢ありと云へど未だ信否を知ず