8月11日
●東學黨中の日本人 曩に東學黨の中に日本人 愚弟儀十年の變亂後諸處に潛伏漂泊して幾多の 云云とありたるよし是れ果して事實なるや保し難
ありとの說傳はりしが今回端なく其人名を審か
にするに至りたり宮崎縣兒湯郡新田村字船戶に土
屋四郞助と云へる者あり其弟竹下良助
兒島の産にて十年の役には兄弟俱に薩軍に投じて
奮戰しけるが亂平ぐの後兄四郞助は官軍に降伏し
たれど良助は其後踪跡を知らず遺族は討死せるも
のとなし佛事供養懈らざりしに今回突然朝鮮より
其書翰兄四郞助の許に達したり一家驚喜し封押し
切りて讀下せば
困難を嘗め其後機會を得て朝鮮に渡航し居りし
處東學黨の變亂起り勢甚だ盛なるを以て終に
其黨に投じて屢官兵と戰ひ奇功を立てたる事
もありしが今般日本軍隊渡航の上日淸兩國の開
戰近きに在りと聞き斷然志を改めて我軍に投
じ一廉の功名を顯はし之を以て半生の罪科を償
はんと欲す皇天若し亡命者の微忠を憐まば他日
重ねて尊顔を拜するを得べし
きも通信のまゝ此に揭ぐ