8月15日
客曰く是より先淸將葉兵を率ゐて東學餘黨を討ち
亂平らぎて竟に公州に留りて歸らず獨り聶總督牙
山に在り牙山一敗後聶も亦倉皇敗北公州に入りて
葉と合し今公州城外の雙樹山に據りて民家を剽掠
すと又曰く佛國宣敎師釜山より陸路公州に入り淸
兵の殺す所と爲れりと一事端を滋す者と謂ふ可し
昨全州より歸る者あり東學黨の消息を傳へて曰く
東徒の首領今金溝に在り時に農事方に繁なるを以
て黨類四散し家に歸りて農に從ふ然れども首領の
一呼忽ち集る可し首領の居兵を以て之を守る兵皆
火繩銃を携ふ首領日本人を見れば則優待措かず饗
するに飮食を以てし餞するに路銀を以てすと云ふ
所謂洋倭斥逐なる者全く虛說也東徒皆新文明を想
慕し出入必ず洋傘を携へざれば則以て恥と爲す者
の如し全州地方官吏遁匿し政令皆東徒に出づ糧餉
器物皆徵發に出づるも民人恨まず彼等初めて日本
兵の入韓を聞き其厚誼を喜べり東徒の崇拜する所
の者は國太公なり國太公旣に立つ其喜知る可き也
若し韓廷をして東徒を募りて民勇となし與ふるに
兵器を以て東西挾み攻めしめば則公州の淸兵蓋し
囊中の物の如きのみ