8月21日
十日飛報忽ち至る曰く東學黨忠淸道に再擧す韓廷
將に按撫使鄭敬源を遣はして鎭撫ぜしめんとす是
より先き予東徒の聲息を豫卜して曰く日淸戰を
開かば彼等の再擧疑ふ可らずと今果して中れり夫
れ東徒の願ふ可きは伸冤安堵に在り而して今韓廷
奸忠を黜涉して大政を更始せんと欲す彼等の願ふ
所將に漸く遂げんとす則ち彼等をして京城の聲息
を知らしめは顧ふに決して再擧せず韓廷乃ち王政
一新の大令を發して民に更始する所以を通諭せず
適ま良民を亂離の中に擠陷せんとす嗚呼東徒の再
擧實に韓廷の罪なり彼等固より罪なし決して亂を
好む者に非ず按撫使たる者宜しく王政一新の敎を
下して▣▣通諭其をして解散安堵せしむべし彼れ
恩に狎れて聽かず乃ち首魁を斬りて威を立つる亦
可なり知らず何の處措する所ぞ
風說の行はるゝ亂時より甚しきはあらず曰く昨日
我兵敗殘の淸兵と○○に遇ふて斬獲甚だ多し曰
く○○○○○○○○○○○○起り我艦は淸の軍艦
二隻運兵船二隻を擊碎せりと思ふに是れ皆道聽塗
說▣ち信ず可らざる者なり然れども近日實事往往
風說の由より來る