9月8日
昨夜黃海道鳳山邊より仁川に歸り來りたる某氏の
談話左の如し
黃海道北部及平安道の朝鮮人民は總べて淸兵に
黨し喜んで其用をなし又倭兵嚮に牙山に亂入し
無辜の朝鮮人三千餘人を虐殺せり其慘酷默過す
るに忍びず今天兵特に來りて被害三千韓人の爲
に倭兵を殲して其仇を報ぜんとするものなり云
云との告諭文を平安道の各所に張り出し兵士を
して所在に觸れ廻らしめしより左らぬだに平素
大國崇拜の平安道人は之を妄信して深く日本人
を怨恨し居れり
新政府より官を罷められたる前平安監司閔丙奭
は近傍の府使郡守縣監其他舊部下の官吏數百人
及平安監營の兵士一千五百を率ゐて平壤の淸軍
に投じ頗る勢力あり平安監司の威光を藉りて淸
軍の爲めに盛に人夫、牛馬、糧食其他軍用品の徵
發をなしつゝあり平安道は代代閔家の監司たる
處にて殆んど閔家の領地の如く道民も皆閔家の
臣下の如くなる有樣なれば閔丙奭の令する所一
として行はれざるなしと云ふ
平壤の人民は閔丙奭の命に依り新任監司來着次
第之を殺さんと意氣込み居れり去る七日京城出
發平壤に向て赴任の途に就きたる新任平安監司
金晩植及安州牧使李用漢は恐れて平安道に入る
を得ず黃海道の中途に滯留しあり日本兵平壤を
陷れたる後平安道に入らんとす