9月21日
●甲午朝鮮陣 (十一)
(九月十一日夜發) 西村時輔
慶尙道監司は永川郡亂民の蜂起を以て辭と爲し郡
守洪用頑の罪を請ふ然ども李重夏の調査に據れば
其職責を失ふものにあらざるを以て暫く再調を待
て處分せんこととなれり卽ち韓曆十日の朝報は此事
を記載せり
議政府草記、卽見慶尙道監司趙秉鎬狀本、啓下、
則以永川郡亂民數千名各持槍棒、突入官衙、破窓
壁、燒軍案、毁撤人家、屯聚作梗爲辭矣、近日嶺外、
民志不靖、傳聞又駭、今此永民之擾、擧措極其悖
惡、不可尋常處之、寧海府按覈使李重夏使之、事
竣後、馳往該郡、嚴覈登聞、前郡守洪用頑道啓、雖
已請罪、政無所失、豈至於此乎、待覈啓、更爲稟處
事、傳曰、允、
朝鮮政府は一昨日新任慶尙道機張縣監李俊弼なる
者を斬れり是は朴泳孝氏との間を反間せしに因る
李は反間策の手段として朴氏を讒言せしが今其斬
られたる理由とも云ふべきは朴泳孝は日本軍隊を
引率して王城に入り改革を斷行すべしとのことを
韓廷に告げたるに由る(無論事實なきこと)反間の
張本人必ずあるべし此李俊弼は陰險にして常に
人に容れられざる者なりと云ふ
●第二海戰場
豐島の第一海戰ありてより玆に五旬餘第二海戰は黃海の北部なる海洋島附近に起れり今其位置を審
かにせんがた
め略圖を加へ
て之れを說明
す
海洋島は鴨綠
江の西南、大
利俺灣の東、
黃海の北部に
在り此島より
北東三十五マ
イル、大孤山
口沖に向へる
處を今回の海
戰場となす大
孤山は盛京省
に在り鴨綠江
より西凡そ四
十マイルなる
大洋河口より
上流に沂る
こと凡そ十二マ
イルの左岸に
位せる貿易場
にて其大さ牛
莊に亞ぐ、我
艦隊は海洋島
を經て此河口
に向ひ進航せ
んとする海上
彼の艦隊と交
戰し無前の大
捷を得たるな
り是圖其近海
著名の地區を
附載す豐島、
牙山、京城、
平壤より旅順、芝罘、威海、渤海に至るまで皆之を指點するを得べし以て其海陸交戰地の狀勢を知る
に足らん(電報中海洋島の位置を遼東近海とせるは遼東灣を指せるに非ずして盛京省地方を總稱した
るなり)