10月2日 三十日午前二時十分釜山發五時着にて大本營に 過日來報告したる東學黨なる者は一種の 第六師團の工兵以下二十五名後藤少尉之を率ゐ ●僞東學黨( 慶尙道に起れる僞東學黨頗る猖獗、昨日台奉に 東學黨の京城に在る者三千人許あり
●僞東學黨
(
達せし電報左の如し
盜賊にして良民を害し地方官吏を殺し金穀
を奪ひ電線を絶つ等暴行至らざる所なく傍ら日
本人民を敵視するものなるを以て我兵は坐視す
るに忍びず朝鮮政府の爲之を鎭壓することに從
事し在るなり其昨日來の景況左の如し
梁邱より聞慶に進む途中昨日午前九時ごろ石門
(聞慶の東五里)にて東學黨凡六百人に出會ひ彼
の險要に據り盛に發火防禦するに關せず進擊之
を破り賊の死者二名、負傷は多數の樣子なれど
も彼等扶け去れり我兵死傷なし彼の陣屋は燒拂
ひたり分捕火繩銃六十三、槍十一、旗四、馬三
韓錢三十貫なり敗賊は醴川の方に逃れし樣子、
工兵は本隊に集合せしむるえゑ敗賊は猶他の兵
を以て追擊せしむ大邱附近にも不穩の兆あり同
處の兵を出せり其他の地方も不穩の聞多し專ら
探偵中
て我工兵五十五人と六百人と出會ひ之を破り遂
に輜重六馱を分捕せり
ざりしもの三十日發のは昨日休刊に付此に載せしなり)
朝鮮曆朔日を以て內外相應じて暴擧をなさんとす
との說あり新政府の人心洶洶、京城に屯在する我
守備隊は一昨日來斥候を出して之を偵察し居れり