10月5日
東學黨の兇暴 圖らずも日淸開戰の導火と爲り
たる東學黨の形狀如何と云ふに曩に招討軍の攻擊
に逢うて全州の守を失ひ兵卒は敗死し首魁は戰沒
し若くは俘虜と爲りて刑戮に就きたるが如くなれ
ど是れ只招討使が政府に對する報告に過ぎず其實
は淸兵の來攻を懼れて自ら解散したるのみ首魁は
一人も死せず言はゞ官賊兩軍示談上の收局に過ぎ
ざるなり其後彼等再び忠淸道に起りたるを大院君
按撫的權略を用ひて之を鎭靜せんとしたれど未だ
全く服從せず近來に至り次第に其勢焰を增長した
るが如く頻りに山賊的剽掠を恣にすと傳ふ是れ
名を東學黨に假る盜賊の所爲なるか一說には彼等
は現政府中の或る部分と陰に謀を通ずと云ひ或
ば閔族若くは不平士族の煽動するものありと云へ
ど固より確たる證跡はあらず頃者彼等の一群大擧
して京城を襲はんと旣に京畿道內に入れりとの報
あり韓廷も市民も震慄す我軍にては四門の固を嚴
重にせり
●東學黨首領の談話 一日本人あり九月二日龍
山を發し黃州利川竹山鎭川淸州等を經て九日全州
に着し東學黨の首領金鳳均を全羅監營に訪ひ布政
局に於て面會し三時間餘筆談を爲す左の如し
金鳳均一名を全明叔と云ふ余の面會せしときは金
と稱す蓋し金は實姓にして全は僞姓ならんか余房
に入り筆を執りて姓名を通じ友人より其抱負を聞
き渴仰の念に堪へず今回特に京城より來り訪ひた
る旨を告げ夫より東洋の現勢、朝鮮の實情を述べ
今日處する方法手段を論じ其敎示を乞ふ金再三辭
したれども聽かず其答ふる所大抵左の如し
我等唯閔家の一族が要路にありて威權を弄し私福
を擅にするを見て慷慨に堪へず年來同志を糾合
して之を斥けんと欲し屢政府に至りて之を訴へ
しも一切採用せられず是れ閔家內に在りて我等の
訴願を杜塞し殿下に達せしめざるものと信じ遂に
君側の奸を除くの名義を以て兵を起せしなり而し
て余等の擧兵圖らずも其媒介を爲して今日日淸の
戰爭を見るに至りしは余等が千秋の憾とする所な
り幸に日本高義を以て吾政府に勸告し遂に其餘力
を以て我國の爲に盡力せらるゝ所ありて已に閔家
を斥け大院君を起し弊事を革めて政法を正さんと
す余等の素望多くは達す余等飜然圖を改め常業に
復すべきなり然れども日本の爲す所大院君の爲す
所我等未だ安んずる能はざるものなしとせず故に
僕は勉めて同志の紛起を制すると同時に我政府の
動止を知らんことを願ふなり曩日公(余を指す)の
友人數名と相會して縷縷其敎諭を蒙り實に宿昔の
迷夢を一散す今日亦公の來訪を受け大に僕の知見
を增す感激何ぞ止まん
余問ふて曰く足下は忠誠の士日本の爲す所大院君
の爲す所の詳細を知る能はず未だ心を安んずる能
はずと言ふ僕の感ずる所、唯朝鮮今日の衰弊を以
て一に閔族の所爲の如く云はるゝは僕の解する能
はざる所なり蓋し閔の亡ぶるは亡ぶるの日に亡ぶ
るにあらず其衰ふるは衰ふるの日に衰ふるにあら
ず朝鮮の今日あるは數百年來政法の弊事頻に起り
て之を革新する者なく徒に舊株を守りて世界の大
勢を達觀する能はず因襲の久しき遂に此悲むべき
境遇に沈めるなり閔族の所爲惡むべしと雖も是れ
只糞中の蛆のみ公糞を▣いて之を捨つるを思はず
徒らに蛆を殺さんとす僕公の爲に之を惜しむ
答て曰く誠に貴諭の如し糞を捨つるの策僕の未だ
講ぜざる所是を以て迂拙を笑はるゝとも固より辭
せざる所なり願くは公の說を聞かん
是に於て余は縷縷陳述する所あり金は終始默視(
余の紙に書するを視るなり)し余の陳べ了るを待
ち膝を進め顔色を變じて曰く貴諭の如きは臣子の
口にすべき所にあらず若し之を實行せば大義を如
何せん名分を如何せん
余は金の深意を詳にせざるを以て李成珪の傳(
余渡航の際諸書に徵し口碑に依りて編纂せしもの)
一本を懷より出して之を示す金默讀二三行にし
て忽ち余に返して口を噤し座を起たんとす余其袖
を惹きて之を止め筆を揮ふて聞く足下常唱「王道
好讀書經、殷湯周武果爲何事」と大書す金再び
座に就きて熟思する少時默して復語らず然れども
其眼光自から常ならず或は余の面に注ぎ或は他
を顧み唇頭微動す是より話頭を轉じて全州覆沒の
景況又近日風說する東徒再起の眞僞を問ふ
金曰く全州を遁るゝは京軍に抗するに忍びざるを
以てなり東徒再起は僞なり彼の州縣を橫行する輩
は我同志の名を盜むものにして我等の關知する所
にあらず
更に西洋の事情を問答し其饗する酒肉を喫し別を
告げて監營門外の旅舍に歸る
十一日昧爽金余の宿に來り面前に於て昨夜の筆談
書を裂きて火中に投じ韓錢拾束許りを贈る余辭し
て受けず午前十時全州を發す此朝亦余と筆談す事
は日淸戰爭の理由と始末に屬す
更に全州に歸り再び淸州に出て歸京の途に就かん
とせしも故ありて路を轉じ報恩他寧を過ぎ十五日
尙州綾巖邊に崔時亨を訪ふ在らず金の紹介狀と
一簡を遺して去る聞慶を經て馬山關を超え幽谷延
豐忠州を過ぎ廿日午後六時京城に歸れり
金の風采 年齡四十許面稍や方疎髯長く垂れ眼
中一種の異采あり書するときは口中微呻を發し細
に玩讀して而して後余に示す
知見は廣からざるも韓人には珍らしき博識家なり
是れ常に好で外人に接して之を聽けるものならん
頗る膽識あり又事を苟せざる風あり然れども普
通韓人と同じく猜忌の情深し只普通韓人の如く之
を言行に暴露せざるのみ意を用ひて其弱點を隱蔽
し決して之を人に示さず
彼君子にあらず英雄にあらず又奸物にあらず一個
外冷中熱の好男子
九月廿一日 某
●巨魁逮捕(
發電) 慶尙道蔚山に於て昨日兵站官の手にて僞
東學黨の巨魁二人を逮捕せし旨今日古川大佐の許
へ電報ありたり