10月6日 一日京城發西村時輔の報左の如し
東學黨百人許新政府を倒さんことを謀り朝鮮兵 ●巨魁逮捕 慶尙道蔚山に於て昨日兵站官の手に僞東學黨の 訂正 去三十日の電欄黃海海戰詳報の中『比
●僞東學黨の隱謀
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の服裝をなし之に紛れて大闕內に入り朝鮮曆朔
日を以て事を擧げんとて其檄文を移しつゝあり
しに謀露顯し人心洶洶新政府遂に之を宮城外
に逐ひ首領二人を捕へたりとの說あり大院君及
び其孫李埈鎔氏此徒と氣息を通じ居たりとも傳
ふれど未だ遽に信ずべからず
(
巨魁二人を逮捕せし旨目下當地に在る古川大佐
の許へ今日電報ありたり(以上皆前號欄外揭げたる所)
叡、赤城焚けん』は『比叡、赤城危險』四日の電欄
僞東學黨と題する項『志田見習士官』は『橋田見
習士官』なり