10月27日 昨日星州(慶尙道)にて東學黨十一人馬四十五頭 東學黨千人カコウ(河陽か)の我兵站部を襲はん 善山附近にも不穩の模樣あり、カイヘイ(開寧か ●釜山特報 (廿三日發續)片山猪三次
東學黨の事 今朝旣に打電して慶尙道及忠淸 東學黨の分捕物
の所謂東學黨と見るべく頃日來慶尙道各地にて時
●僞東學黨
(
を捕獲せり
としたるを以て直ちに擊退けたり憲兵一人之に
死す
)附近、尙州附近にも東學黨集まれりと聞く
道に於ける有樣は粗ぼ報道せり全羅道に於ても近
來頻りに暴擧し一面は忠淸道を經て京城の方向に
進み一面は慶尙道の河東を襲ひ民家若干を燒拂ひ
て一旦は全羅道に引揚げ一半は全羅に止り一半は
更に東進して目下慶尙道の晉州まで進み泗川縣、
固城縣、鎭海縣を經て金海府(釜山より六七里)に
進まん模樣あり、是より先き全羅道地方に東學黨
騷擾の模樣あるより其向向よりは夫夫偵察せしめ
しに出沒不定訛傳百出其人數の如きも過る所の人
民を脅し同勢に加へて進み來るを以て確には知る
べからざれども先づ三四千人位はあるべしといふ、
斯る次第なるを以て釜山守備の○○○○○隊長
部下の一個中隊を派すべしとて遠田中尉、藤阪少
尉に命じて之を率ゐしめ昨夜入港せし白川丸に由
り今朝八時馬山浦に向はしめたり(馬山浦より晉
州へ凡そ十一里)此一隊は其首領を生擒すべき目
的にて若し逃走せば全羅道の境界まで追跡せん筈
なりと右全羅より東進しつゝある東學黨は先づ眞
時暴擧せし僞黨とは其性質を異にするものゝ如し
と云へり此方面の首領は金商奎にして副首領とも
見るべきは金講人といふものなりといふ黨徒は槪
ね淺黃色の布片を頭に德ひて帽を冠らず肩より脊
へかけ襷がけに同じ色の布片を掛け中には珠數を
胸に垂れたるも有る由武器は火繩銃を最多しと
し他は槍弓刀の類なり今一時跡を斂めたる東學黨
が近時頻頻蜂起するに至りしは何故なるかを探究
するに年來專慾橫暴を極めし各地方官も近時政府
の改革と共に幾分か前日の專恣暴斂をなさゞるに
至れるより地方官さへ恐嚇すれば租稅も輕くなら
ん等の考より各地の地方官を襲ひて屈伏せしめ庫
中の武器を强奪し去るも地方官は更に抵抗せず手
を拱して彼等の爲すに任すより益圖に乘り漸次各
地方官を襲ひ始むるに至れり要するに東學黨と稱
するものゝ中には饑渴の貧民が地方官を脅して食
物に有付といべる如き考にて徒黨を結び暴行を働
くものあり過日來慶尙道各地に於て暴動せしもの
は槪む此類似東學黨の一揆なり而して前記晉州へ
進みたる分は眞正の東學黨なるべしといへり(終)