10月30日 二十五日午後十一時仁川發にて大本營に達せし 嚮に朝鮮兵の應援として京城より派遣したる守 ●東學黨を擊退す 今朝尙州に在る千人許の東學黨を擊退せり賊の ●東徒侵襲の報告 本月廿二日釜山兵站司令官 一 先に河東府附近に派遣したる潛行偵察の內朝 一 目下東徒は晉州附近に在りて地方官に迫り金 一 人員は確知するを得ず或は萬以上と云ひ或は 一 暴徒の首領は金商奎及金溝人の二名にして尙 一 暴徒は漸次昌源府、金海府に向はんとするも 一 守備兵の內遠田中尉の二小隊、藤阪少尉の一 一 此の鎭壓兵を送致する爲總領事と商議し昨夜
●學徒蠢動
(
電報左の如し
備隊當地にて東學黨の巨魁一人を捕へ水原府に
預け置きたるに東學黨は之を奪はん爲其牢屋を
脅せりとの報ありたる爲朝鮮政府は兵を派せん
とて其外務大臣より我兵の援を請ひたる趣にて
杉村臨時代理公使より出兵の照會あり因りて二
十五日午後五時仁川守備隊より二分隊を水原府
へ向け派遣せり嚮に派遣しある守備隊は公使の
要求あり一は水原牙山を經て定山まで一は竹山
鎭川を經て忠州に至るの豫定なり全羅道咸悅、
扶安、古阜、慶尙道開寧、星州等にも同黨集合
の報告あり
(
死傷五十人我兵死傷なし分捕無數
今橋少佐發の報に據るに左の如し
鮮警察吏一名憲兵卒一名昨廿一日歸還せり(陸
路を取りし爲遲着)
穀を强奪し所在の人民を恐迫煽動して加盟せし
め若し應ぜざるものは忽ち財を奪はれ家を燒か
れ已むを得ず加盟せしもの多きに居ると云ふ
數千とも云ひ其實を詳にせざるも諸種の徵候に
由て推測を下すときは四五千に上らざるべし
此二人は目下全羅道に在る河孫中、金彖斗二名
の指揮を仰ぎ居れりと云ふ
のゝ如し其進路は確知し難しと雖ども風說に依
れば伵川、固城、鎭海の各縣を經過すと云ふ
小隊、憲兵二名、朝鮮國監理衙門の官吏二名、同
巡査十五名を今廿二日早朝白川丸に乘せ馬山浦
に派遣せしめ暴徒の狀況に依り二道より晉州に
向ひ進ましめたり本日正午には馬山浦に上陸す
るならん其目的は暴徒を鎭壓し勉めて首領徒を
生擒するに在り
入港せし商船會社汽船白川丸を今一日徼發▣役
せり