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1차 사료

사람이 하늘이 되고 하늘이 사람이 되는 살맛나는 세상
大阪朝日新聞 대판조일신문
  • 기사명
    明治27年 11月 10日
  • 이미지
    prd_0136_103 ~ prd_0136_105 (103 ~ 105쪽) 이미지
  • 날짜
    음력 1894년 10월 13일
일러두기

11月10日

去頃忠淸道にて日本人六名僞東學黨の爲に殺され
たりとの噂ありければ我領事館にては直に巡査を
派して調査せしめしかど要領を得ずして歸京せり
荻原警部は更に巡査二名を率ゐて忠淸道天安に抵
り調査を遂げて昨日歸京したり其語の所に據れば
其死體を發見せしは天安郡南山の附近にて三人、
是より數十町を隔てゝ土城山にて一人、新酒幕に
て一人、火土里に一人なり直に發掘して檢分せし
に南山の下に在りし三人の屍中一人は懷中に金六
圓と標札とを所持したり其標札の一面には第五師
團監督部と記し他の一面には第一七二四號廣島縣
沼田郡三篠村軍役夫松本吉造慶應元年一月五日生
と記しあり又土城山の死體中よりは「常」の字を刻
せる印形を發見せり蓋し此六人は孰れも人夫にし
て其勞役に堪へず逃亡して釜山に到らんとする途
中韓人に殺されたるならん因りて右六人も土城山
附近に火葬して墓標を建て其死體に附着せし印形
手帳類を持歸れり又右の加害者を取調べしに天安
の金致先、趙明雲の兩人に嫌疑あるを以て京城に
引致し來れり其陳述に據れば自分等は人夫なり南
山附近に在る川口橋を架せんとして土工を起しつ
つありしに黑の洋服を着したる日本人六人來り日
本▣を以て何事をか話したれど言語通ぜざるを以 て其命に隨ふを得ざりしかば杖を以て我等を打擲
し▣傷を負はしめたり自分等は氣絶して其後の事
を知らざれども當時南山には數多の東學黨員居り
たれば多分來りて六人を殺害せしならん其時日本
人は何事を語りしか判らざりしかど後にて考ふれ
ば此日雨降りて川水增加し渡川に困難なりしかば
多分川を渡る周旋を賴みしものならんかと云り更
に郡守立會の上訊問する所ありしかど加害者の姓
名を白狀せず然ど手掛りとして右二人を連來たれ
ば追追訊問して其實を知るを得んと荻原氏は天安
に赴く途中烏山洞にて東徒の名士とも云ふべき洪
敬雲と云ふを捕へ槍其他の戎器を獲たる由なるが
是れは東徒征伐に赴きたる彼の日本兵に引渡し置
きたりとぞ此邊は東徒到る處に出沒して檄文など
を飛し居りし趣なれど日本兵鎭定に來ると聞くや
雲散霧消して其往く所を知らずと云ふ(以上十月
廿七日發)

詔勅 星州河東の兩邑匪徒の爲に燒かれければ
國王陛下は御手許金壹萬兩を被害者に下賜され左
の詔勅を下されたり

傳曰、今聞星州河東兩邑、酷經匪擾、星州則、民家
被燒、爲六百餘戶、河東則、全域燒蕩云、哀我無辜
赤子、橫罹賊害、死者已極慘惻、而生者亦無所依、
室屋田産、盡爲瓦礫之場、寒節漸迫、何以聊生、言
念及此、耿耿不能成寢也、被災恤典、自有常例、而
國帑枵然、無以副博施之心、特下內帑錢一萬兩、
令該道臣分給兩處、以慰遺民、其被燒身死者、生
前身還布、竝爲蕩減、招徠奠接之方、從長區劃、另
加顧助、俾無流離凍餓之患事、廟堂措辭分付、

韓曆二十六日僞東學黨の蜂起に付詔勅あり之を意
譯すれば左の如し

民擾の起るや始めは貪虐の吾に勝へざるに由る
其情や哀む可し故に國家討を加ふるに忍びず專
ら撫摩を事とせり今聞く所に據れば此輩到る處
に亂を起し人民を惑し軍器を盜み或は城を攻め
民を掠む坦として顧みるなし曩きに宣撫使を分
遣し繼ぐに布告を以てせりと雖も冥頑悛めず
悖逆日に甚し此れ良民を以て之を視る可らざる
なり因て今將に將に命じ師を出し妖氛を廓淸せ
んとす匪徒等兵を棄てゝ歸順し各其業に復し其
渠魁を捕納する者あらば當に死を免じて賞を論
ず可し若し猶衆を恃で服せず敢王命を拒み或は 面を革めて其心を革めず反覆常なき者あらば竝
に誅滅して赦す事なし廟堂其心を以て各道臣及
宣撫使に通知し以て匪徒に宣示し後悔の地なか
らしめよ

夫の忠淸道天安にて日本人六名を殺害せりとの嫌
疑にて荻原警部が拘引し來りし金致先、趙明雲の
二名は其後領事官にて訊問せしかど確實なる證據
を得ざりしかば本日警務廳に引渡したり警務廳に
ては今一度取調を爲すならん

一昨日大院君私邸より大闕に入らんとして宮門外
に抵るや數百の韓人來り何卒自分等を扶け賜へと
叫びければ大院君其何故なるを知らず驚きて輿を
下り其內の一人を呼んで其來意を問ひしに答へて
曰らく自分等は忠淸道洪州の人民なり洪州の牧使
李勝羽は今度全羅の監使に轉任せしが李は能く其
職務に盡瘁して人民歸服し且東學黨を征服して今
は洪州內に一人の東徒なし是れ實に李の功勞なり
李轉任せば人民其堵に安んずる能はず是れ自分等
特に上京して其留任を願ふ所以なりと大院君之を
聞きて說諭する所ありしかど服せざりければ遂に
其內の三人を捕へて法務衙門に送りて說諭すること
となりしやに聞く

憲兵被害の詳報 忠淸道の東學黨猖獗を極め鎭
撫に赴きたる日本憲兵殺害されたる由は已に前便
に報じたるが更に昨午前着の電報に據りて其詳細
を知るを得たり「忠淸道の東學黨鎭撫の爲め京城
より出張したる七名の憲兵は去る廿五日花津に於
て五百名餘の東學黨を潰散せしめたるに忠州附近
の可富にも千餘名屯集せりと聞き將さに舟に乘り
て河を渡らんとする時東徒の襲擊を受け南海爲次
郞氏(山形人)銃丸に中りて卽死し他の憲兵も皆重
輕傷を受け辛うじて引き返したり

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