12月4日 左の電報大本營に達したり
東學黨討伐隊應援の爲仁川より派遣したる中隊 十一月二十八日九日東學黨數萬公 仁川 伊藤兵站官 ●東學黨を擊破す 左の電報大本營に達したり
公州より載寧地方に派遣せる半小隊は去二十七 金州より派遣せる守備兵は平山附近に在りて專 福原兵站監 ●京城消息 ( 二十八日京城發靑山好惠の報左の如し
租稅金納の事は實施せらるゝに決す
忠淸道の東學黨益猖獗我兵一小隊昨日公州に於 朝鮮政府は特に平安道に日本軍隊接伴官を置き 昨日法務、工務、農商務、內務の協辨に大更迭あ ●釜山消息 ( 一日釜山發若宮末産の報左の如し
大邱府使は我軍隊の東學黨を討伐したるを喜び 是まで淸國の管理に屬し居たる電信線今回全 東學黨亂被害者周恤 忠淸道槐山は現今東學匪 又咸鏡監司の北關地方德源高原等各地天災に因て ●東學黨を擊破す( 去三十日午後三時平山の北一里に於て大角技手工
●東學黨を擊破す
(
は一日午前七時牙山附近貢湖港(此處電文不明)
に上陸直ちに公州に向ひ進みたり牙山縣の官吏
竝に土民より聞得たる左の情況を報告し來る
州を襲擊す我軍及び朝
鮮兵凡千餘人は之を擊
退し數千人を殪す其巨魁李
昌求及リクンシの二人を殺したりと而して目下
此方面の賊は潰散し牙山より公州及び洪州間に
は賊の集合體なく道路も亦少しも差支なきもの
の如し目下賊は京城に上るの景況更になし
川上兵站總監宛
(
日同地附近にて賊を擊破り十五人を殪し五人を
生捕り數多の武器彈藥を分捕り載寧を占領す賊
凡六百人四方に散亂せり我兵死傷なし二十八日
更に安岳方位に向はんとす
ら海州より來る賊を警戒せしが今日まで無事な
るを以て一先引揚げし旨報告あり
川上兵站總監宛
て之と戰ひしが東學黨は其數二萬餘なりしかど
我兵竟に退けたり
たり
りたり
俱に釜山に來り兵站部竝に領事館に就きて討賊
の勞を謝し且昨夜は領事其他の人人を居留地東
京樓に招きて饗應せり
く我釜山電信郵便局にて管理せんことゝなり今
日より其電信を取扱ふ
徒の尤も猖獗跳梁を極むる地にして同地方民家の
賊の爲に燒れしもの五百餘戶に及び慘狀見るに忍
びず國王殿下は錦伯(忠淸監司)よりの狀啓に據り
て此事を知り錢壹萬兩を地方被害人民に劃給賑救
し玉ひたり
兇饉、江華留守より江華島に於る前同樣の事を狀
啓に及びたるに一一其地方の貢稅免除或は猶豫の
御沙汰あり、韓朝人民を愛撫するの深き此の如し
東學黨煽動者審問 數日前東學黨煽動者(○○
○の旨を受け居れりとの評高き)の嫌疑を以て捕
縛され牢獄に拿囚しある農商衙門參議尹炳甲前校
理李容鎬兩名は我內田京城領事立會の上昨日より
法務衙門の法廷に於て審問を始められたり、審問
の結果に因りては或は由由しき一大珍事を惹起す
も知れずと云ふ
派榎本義路發電) 左の電報大本營に達したり
事中東學黨三百餘の襲來に遭ひ金圓其他物品悉皆
掠奪せられ翌一日朝技手以下公州より來着の守備
兵八人と合し平山に籠れる賊徒を攻擊し遂に十二
人を斬殺し火器刀劍數多を分捕し工夫一人負傷の
旨京城土屋中尉より報告す、運輸通信總監寺內正
毅、川上兵站總監宛