12月23日 左の二十一日午後六時十五分釜山發電報此日午 全羅道左水營より當地監理衙門への報知に據れ 十九大隊の目下の所在當地にては判らざるも推 去十九日當地より晉州、河東及び順天方位へ探 釜山 今橋兵站部司令官
●全羅道の東學黨
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後七時四十分大本營に達したり
ば去十七日東徒約一千人左水營に襲來し營兵と
戰ふ營兵は三百人許にて防禦覺束なし該地民家
皆燒かれ人民逃走せり又順天府は東徒の
暴行甚しく府使は殺されたり
順天にある東徒の首領は金ジユンバイ鄭ウコウ
の二人にて全羅道は目下到る處東徒の暴行甚し
と
測に據れば一中隊は慶尙道の西部に達せしなら
ん
偵を派遣し置きたり向後の情況に依り當地より
も再び討伐隊を派遣すべし