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1차 사료

사람이 하늘이 되고 하늘이 사람이 되는 살맛나는 세상
大阪朝日新聞 대판조일신문
  • 기사명
    明治28年 1月 15日
  • 이미지
    prd_0136_145 ~ prd_0136_148 (145 ~ 148쪽) 이미지
  • 날짜
    음력 1894년 12월 20일
일러두기

1月15日

全羅道の東徒(鎭靜) 全羅沿海より昨日歸航せ し筑波艦の齎らせる報に據れば同艦は客月三十一
日當港を發し翌一日左水營に着せしに地方衆民の
喜び一方ならず其日左水營にて東徒の兵卒鄭撑元
と云ふ者を生擒し東徒の近狀を糺問せしに曰く今
や日本水陸の大軍攻め來るとの說傳播するに至り
しより從來吾黨に加擔し居たる地方の衆民を始め
官吏等頗ぶる恐怖し日本の軍兵の來らざる前に歸
順するに如かずと內議せしものと見え俄かに內訌
を起し首領を斬殺する等黨中非常の騷ぎとなりた
るを以て小生は虎口を遁れ此所に來りしなり何卒
一命を助け給ひと哀告せしも左水營の朝鮮官吏は
之を以て彼れ等の僞言詐構に出るものと疑ひ容易
に信ぜざりしが越えて三日筑波艦より陸地斥候兵
を派遣して順天附近に於ける東徒の情況を偵察せ
んとするに當り光陽縣急使の來報に曰く順天附近
にて東徒に與みし居たる官民擧て渠れに叛き俄
然蜂起して全慶兩道を統轄する東徒の本營を襲ひ
其首領鄭虞炯を始め重なる者を斬殺し又光陽縣に
逃げたる兩道の都統領金仁培及副統領劉夏德も同
縣官民の爲めに殺害せられたるより徒軍大に亂れ
各地方に潰散遁走するに至れりと依て我筑波艦は
其事實を確めん爲め四日光陽に廻航し翌五日三浦
大尉高木少尉をして一分隊を率ゐ上陸せしめ尙道
路の連絡を保つ爲めに更に田中少尉に水兵二十名
を附し上陸せしむ(海岸より光陽まで凡三里程)
已にして三浦大尉の一隊光陽城に着せしに東徒
に叛き我に歸順せんとする官民等多衆群を爲し我
軍隊を歡迎し靑竹の先に東徒の首領金劉の首級を
貫き尙外に三十餘名の死體を大尉の前に持來りて
實檢に供し謹んで降伏歸順の意を表したるより大
尉は彼等に對し再び叛亂を企つ如き不良の徒に與
みさゞる樣懇懇說諭し嚴しく將來を愼しむべき旨
を告げ筑波艦に立歸りたり斯かる現狀となり彼れ
東徒は多數の首領を殺害せられ烏合の衆は四散八
潰して殆んど全羅道には其▣を絶つに至れり玆に
於て筑波艦は一先當港まで歸航せしにありと云へ
り(來電參看)

忠淸道の東徒 全羅道の東徒は將に鎭滅に歸せ
んとするも忠淸道にては尙ほ其暴行を逞うせんと
するものゝ如し左に記載する諸電報に據り其大要 を知るを得ん

大邱伊津野少佐より左の意味(八日發)にて尙州
牧使より大邱監司への報告に茂朱附近の東徒は
忠淸道の黃澗、永同、靑山に至り民家を掠め兵器
を奪ひ暴行を爲す依て大邱より朝鮮兵二百名を
金山に向け出發せりと右は已に第○○大隊の經
過せしものならん尙探偵の上報告すべし

釜山 兵站部今橋少佐
仁川伊藤中佐宛

茂朱附近東徒の件敬承せり此事は貴官より直ち
に兵站總監及び仁川伊藤中佐洛東飛鳥井少佐へ
も通報し置かれたし(同日發)

釜山 今橋少佐
大邱伊津野少佐

●筑波艦長の報告(廣島特派片山猪三次發)
去三日本艦の斥候にて間諜の嫌疑者として左水
營へ携へ歸りし東徒鄭撑元を左水營に於て去四
日小官の面前に於て金節度使親から審問せしに
去一日夜順天府の東徒より首領を殺し他府縣の
東徒を放逐せしに付き右鄭撑元も脫走したるも
のなりとの事分明したり且又東徒は左水營にて
日本軍艦と營兵と連合して順天攻擊の計畫ある
を聞て驚愕の餘り如斯分裂せしならんと右囚人
より陳述せり依て去三日本艦斥候の接したる順
天光陽より來れる使介の携へたる書面も事實な
ることを確認したり然れども金節度使より東徒
は是まで國王より數回勅諭を下せしも服從せず
今回突然恭順を表するとも輕輕しく之を信認し
難きを以て尙本官へ東徒鎭定上助力を請求せり
故に同四日左水營より河東沖を經て光陽沖へ廻
航翌日早朝より猫島錨地を距ること凡そ二海里
の處にある光陽縣下浦に本艦の分遣隊を上陸せ
しむ(三浦海軍大尉及高木海軍少尉をして之を
指揮せしめたり)同浦より偵察を行ひながら光
陽城(下浦より我三海里餘)に赴かしむ且田中海
軍少尉に一分隊を指揮せしめ中途まで送り本艦
と連絡を取らしめたり反正の吏員及人民は市外
に朝鮮樂隊を送り先導をなさしめ城中に招き一
同恭順の意を表し而して別紙の首級等を實檢に
供したり而して民砲(壯兵)一千六百人を集め河
東府對面の光陽縣下月浦に向はしめて東徒を追
捕中なることを陳述せり過日釜山より順天に向ひ
たる我が一中隊及左水營より南海縣を經て河東
府に至り我陸軍に結合したる百人の韓兵は右同
日(五日)午後まで光陽縣に達せず是れ右諸隊は
河東府にて蟾江を隔て月浦の東徒と交戰したる
爲めならんと思考す新城浦にて我が陸軍を待居
たる李周會が指揮する五百人餘の韓兵も單獨に
て五日まで順天に行軍したる由右の如く順天方
面の形勢は一變したるを以て當艦は一先づ竹林
浦に廻航し且當釜山へ投錨し銳意善後の方略計
畫中に有之候右謹で報告す

明治二十八年一月

朝鮮國釜山港先任艦長筑波艦長黑岡帶刀
大本營

明治二十八年一月五日軍艦筑波は全羅道光陽縣
沖錨地より光陽縣に分遣隊を派し左の東學黨首
級及び死體を實檢せしめたり

嶺湖大接主(卽慶尙全羅兩道都統領)
金州附近 金溝人 金仁培
嶺湖首接主(卽慶尙全羅統領)
順天人 劉艾德
右二人は梟首しありたり
光陽縣鳳岡接主 朴興西
其他凡四十名は砲殺しありたり
順天府臆底接主 金哥
其他四人は捕縛しありたり
(以上皆前號欄外揭げたる所)

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