2月1日 左の三十日午後零時四十五分漁隱洞發電報午後 東學黨に關する報告
去二十日曾て保山より差遣したる山中少尉の部 目下黃海道の東徒は多くば長淵に集合し一部は 右に就き左の通處置す
山中少尉には當地守備隊の中より二分隊を加へ 何れの隊へも偵察と警戒とを確實にし兵を徒勞 殷栗東學黨の首領以下當地に拘留審問中なり其 漁隱洞 熊谷兵站司令官 ●東學黨討伐 ( 左の二十九日午前十一時十五分仁川發電報午後 去十九日發福富大尉の筆記報告に據れば十三日 仁川 今橋兵站司令官 (此報前號欄外揭げたる所)
●東學黨討伐
(
三時三十分大本營に達したり
隊松禾(當地の西南八里)に於て東徒五百餘名に
遭遇苦戰一時間餘にして賊二名を傷つけ擊攘せ
り分捕品は銃五十、槍五本、旗三、其他書類あり
昨三十日殷栗に於て東徒の首領株四名を捕縛し
火藥五百二十斤、銃二百五十及び槍刀、書類を
分捕す
載寧、保山の間なる銀波に集合しあるものゝ如
し海州の方面は目下靜穩に歸したる旨該地出
張中山中尉より報告を得たり
二十七日當地出發殷栗、松禾を經て長園に中山
中尉海州より進んで長淵に向はしめ夾擊して强
硬に討伐し再燃の憂なからしむるを目的とせり
銀波の方面は先づ韓兵を以て當らしめ確實なる
情報を得たる後討伐に着手する考なり
に屬せしめざる樣訓令せり
結果當地より縣に交付するか井上公使に護送す
るかを決すべし
川上兵站總監
一時三十五分大本營に達したり
可興より派遣したる偵察隊は十七日長湖陰と陰
城との間に於て第十八大隊石森中隊の枝隊と會
す只今賊數百來襲するを以て共に協力して之を
邀擊し賊數十人を殪し我兵一人負傷す賊は四方
に潰散せり
川上兵站總監