2月24日
東學黨總首領の死 一昨日の通信に於て報道し
たる今回歸城せる我東學黨征討軍の爲に護送され
來りたる東學捕虜三名は其後我領事館にて取調に
着手したるに彼等は大に覺悟する所やありけん何
を問ひても唯知らずらずと答ふるのみなりしが漸
く昨日に至り其內の一人林▣▣(六十餘の老人に
して東學黨中に聲望あり一萬人に將たる者)を別
に審問に附するに同人は僅に口を開いて我の問に
答へし中に彼は如何にも打萎れて我等の總統領崔
法軒(時亨)は去る韓曆一月六日(日本曆一月三十
一日)に於て慶尙道松柏山の原谷に於いて日本
兵の爲に運拙なくも殺され又(一度生擒せられし
上にて銃殺されしとか、然し日本兵は其崔時亨た
るを知らざるものゝ如くなりき)我三南各地の同
黨與の俄かに潰散萎縮せしは全く之に因ると而し
て別に他の二名に就きて此事を質すに各、今はと
て何れも同樣の事を述べたりとぞ
世人も知れる如く崔時亨(法軒は稱號なり)は東學
黨の開祖崔福戌の遠孫にして今朝鮮全國東學黨幾
十萬に首たるものにして近日の三南各地に於る暴
亂の大體司令は實に同人より出づる所なりしに今
此報に接するに至れり