3月2日 全祿斗(琫準)は數日前の通信に於て陣歿の旨を報 東學黨征討兵發遣の要望
從前派遣せる東學黨征討軍引揚の事に就て井上公
東學黨大巨魁生摛
じたる彼の崔時亨と竝び稱せらるゝ東學黨二大巨
魁の一人にして昨年來東學黨暴亂の主唱者は卽ち
此者なり其後聞く處にては大體の軍配は全祿斗よ
り出で平時崔時亨は忠淸道、全祿斗は全羅道の首
領たりしと云ふ而して此に大首領の一なる崔は嚮
に戰死し全も旣に慶尙道諄昌に於て民兵の爲に
捕獲され日本兵に引渡され他の崔慶善、洪落寬、
朴鳳陽、金得明、孫化忠、金邦瑞、高恒宅、權豐
植等と共に今日を以て日本公使館に護送され來り
ぬ余は一見彼れの相貌の眞に東徒首領として恥ぢ
ざるを見たり彼れは足部に銃傷を受け居り且つ其
後他の病氣發して今は餘程危篤なるものゝ如く擔
架に乘せられて來り其儘公使館の前庭に据ゑらる
井上公使は試みに其何の故に此の暴擧に及びしや
を詰りしに彼答るやう他意あるにあらず恰も中央
政府に於る奸侫を拂はんと計畫しつゝありしに當
り昨年六月(韓曆)日本兵京に入りしと聞き共に斥
攘せんとし遂に義兵を擧ぐるに至れり我東學黨の
軍其衆や訓練なし其の武器や玩具的なり人に武器
に共に精銳なる日本兵に打勝ち得べしとは素より
信ぜざる所然れども君辱しめらるれば臣死す斃れ
て後止むの決心を以て起てり義兵を擧ぐるの前余
は今一應日本軍入韓の本旨を確めんとし一片の照
會書を日本公使館に送りたるも使者は恐るゝ處や
ありけん其書を南大門外の酒家に託して歸り來れ
り當時其書にして若し速に貴公使館に達し居たら
ば余等の運動も斯く迄は暴ならざりしならんと公
使は更に此る暴擧をなし地方良民を苦るしめ果し
て義兵の本旨に戾るなきやと問ひしに彼更に曰く
東學黨の義兵を起せるに乘じて之を好機とし多年
地方官の虐政に苦しみたる地方人民が百姓一揆を
起せるものをも尙東學黨の所爲の如く世人より誤
り考へらるゝに至ツては眞に遺憾なりと今日は法
務衙門よりも參議若しくは主事一人立會ひ領事館
にて取調べをなし更に法務衙門の法廷にて審問に
附する筈なり全祿斗と共に押收し來りし書類は直
に調査に着手したるが隨分重要なるものにして種
種の祕密を摘扞し得るの媒ともなるべしと聞く
使は東學黨征討兵は常備の如くに差遣し置くの必
要ありとし目下大本營に意見を稟申中なりと云ふ