3月13日
凱旋歡迎記
本日は近來稀なる大君にて曉より午に至り尙ほ歇
まざりしも午後には東學黨征討日韓兩軍凱旋すべ
しと聞き余は正午頃雪を衝き馬を驅つて龍山津に
赴きぬ、大主君陛下は特に軍務大臣趙羲淵氏を勅
使として之を郊迎し慰勞の勅詞を下さるゝの事あ
り井上公使は代理として杉村一等書記官を遣はし
京城守備隊長馬屋原少佐は守備兵の中二中隊を率
ゐて同じく龍山に出迎へ其他日韓人士の歡迎する
もの多し
征討軍の內十九大隊の第一中隊と壯衛營兵二中隊
より成る東路分進中隊は昨夜廣州に泊し第十九大
隊の第二中隊と第十八大隊の一部隊と敎導中隊及
十九大隊の本隊とより成る西路中隊は昨夜水原に
泊し第十九大隊の第三中隊と壯衛營兵三百とより
成る中路中隊は昨夜龍仁驛に次り何れも今曉を以
て發途凱旋の途に上り先頭は午後二時半已に龍山
津に入り午後四時半に至りて全軍龍山に着しぬ
全軍の着するや日韓兩軍隊は各其指揮官命令の下 一に隣邦の交誼に依り此の沍寒の天に當り南道 南少佐は更に之を全軍に傳へ一同捧銃敬禮の上少 大朝鮮國大君主陛下特に不肖等が東學黨討滅の 大日本帝國後備步兵獨立第十九大隊長東學黨征 是に於て南司令官の發聲にて大朝鮮國大君主陛下 征討軍將校慰勞宴
大君主陛下は明日午後夫の東學黨征討の功を奏し 牙山敗兵の捕獲
東學黨征討の我日本軍は曾て種種の流言を捏造傳
に萬里倉の平野に整列し點檢終りて隊形全く整ひ
飛雪瞑濠
東學黨征討軍指揮官南少佐全軍に令し勅使に對し
て捧銃の禮を行はしむ勅使(趙軍務大臣俄に差支
へ起り軍務協辨權在衡氏代理)は南指揮官に向ひ
左の如き意味の勅語を傳ふ
峻險の山谷を跋涉し幾多の苦難を經て吾國の爲
に東學匪徒を剿討し盡し一國の治安を保全し地
方生民を塗炭の苦中より救ふ朕深く其高誼を嘉
みし其效勞を謝す
佐は勅使に向つて左の答詞を奉る
功を奏して凱旋せるを嘉みせられ優渥なる勅語
を賜はる一同は共に恐懼に堪へず
討軍指揮官陸軍步兵少佐從六位勳四等南小四郞
衆に代り謹んで奉答す
萬歲を唱へ全軍之に和し更に大日本 皇帝陛下萬
歲を唱へ全軍亦之に和して三唱す其聲山谷を撼か
せり式旣に終り東學黨征討軍客年十一月十二日隊
伍肅肅龍山を發し三路南下してより今日に至る迄
日を經ること百十餘日、戰を交えること大小數十、流
石の東學大亂も遂に鎭靜に歸し了るに至りぬ亦吾
人豈に朝鮮の爲にのみ其功を謝せんや敎導中隊及
壯衛營兵及歡迎の爲に出で居りし獨立十八大隊
は卽夜京城に歸り十九大隊は萬里倉のバラツク兵
營に入れり余は更に南少佐を陣中に訪ひ東學黨征
討中の事を聞き深夜に及び遂に龍山に泊せり(二
月二十八日夜半漢江江上羈亭に於て)(以上二月二
十八日)
て昨日龍山に凱旋したる日本將校三十五名に謁を
賜ひ征討の實狀を御下問あらせられ且つ慰勞の勅
語を賜ひ終りて別殿に於て一同に酒饌を下賜せら
るべしと云ふ
布して人民を蠱惑し地方富豪を劫かして金品を掠
奪し又は東學黨中に▣はりて抗敵し或は地方官廳
に亂入して軍器を奪へる等の兇行ある支那人二十
五名を公州に於て捕縛せんとして果さず禮山迄追
尾し去月二十二日漸く其十三名を獲尙ほ歸路二十
四日三名、一昨日果川に於て一名を獲て護送し來
り今日之を公使館に引渡し公使館は領事館の手を
經て法務衙門に引渡せり右は何れも商人風をなせ
ども其實は牙山收兵に相違なき證跡あり法務衙門
は多分保護淸商規則の法文に照して國外追放の所
刑に行ふならんと云ふ