5月15日
●全羅道の暴動 朝鮮全羅道古阜郡に去る八日
亂民暴擧せしに付ては種種の風說あれども其中最
も信ず可き事柄は當時利運社なる者起りてより貢
米運搬に付き定期の貢米を取立つる上に船舶修繕
費及び日待費(卽ち碇泊費)竝に朝鮮帆船と運賃の
差金とを倂せて取立しより其不當を責て亂民の蜂
起したるを機會とし東學黨は黨人の縛に就きたる
者を栲問せしと云ふを口實として右不平民に合倂
し愈よ勢力を增したるより全羅地方の兵員にては
所詮鎭定の見込なきに至れり而して其內京城へ通
報するや直に海路より古阜郡のヘングへ支那の軍
艦平走、蒼龍、漢陽の三隻を以て兵士八百人を派
遣せしめ猶ほ陸路よりも六百人の兵士を派し鎭定
せんとしたるも亂民は數千の貢米を押領して兵糧
に充て長計の策を講じ居るに反して親兵は到る所
農民に兵糧を課しつゝあれば倍倍民心離背し親兵
の用意總て調はずして容易に鎭定す可き樣子にも
あらざりしと