5月22日
●朝鮮の麥作 京城及び全羅道より釜山に來り
たる人の話を聞に本年の麥作は至る所豐作に▣十
年以來の出來なり左れば地方人民の喜びは勿論其
影響として久しく暴騰し居たる市場の米價も日日
幾許づゝか下落の傾きあり尤も全羅道邊は比年不
作打ち續き小民は非常の困弊に陷りたる爲め止む
を得ず各豪農より何程づゝかの米錢を借用し居た
る處本年は意外に豐作なりしを以て債主は必ず此
の收穫麥を差押ふべく左すれば小民は單に多量の
麥を收穫したりと云ふに止り矢張困窮は免る能は
ず然れど日本に輸入する直段は本年よりも引き弛
むなるべしと十八日發の朝鮮通信に見え
●金玉均の祟り 朝鮮晉州咸安等の地方にては
金玉均の橫死に就て怪訝なる風說流傳せり开は金
の怨靈は雷神となつて天に昇りたれば向ふ二ケ月
の後には毒風を起し毒雨を雨ふらし霹靂▣▣乾坤
を轉倒して八道の人民を▣▣せしむるか或は疫神
と化して大疫病を流行せしめ以て人民を惱ますか
兎に角魔神となつて怨を晴すには相違なしとて孰
れも皆恐怖し居れりと
◎尙ほ一の流傳あり これは大邱府に行はるゝ
巷說なるが從來朝鮮の歷史上五百年目には必ず支
那帝國より其の皇帝の鳳輦を抂げさせらるゝ例あ
りて其時には朝鮮國より謝恩の爲め獻上物として
國中の美人三千人を擇んで其後宮に捧げ若くは名
馬三千頭を差上ぐることなるが其代り支那の皇帝は
紛紛亂雜せる八道の政治を整理し合せて人民の幸
福を增進する樣盡力するを以て常例とす而して本
年は其五百年期を越える三年に及べども或る事情
の爲め延引し居りしが今年の秋季には必ず巡遊あ
る筈なるを以て今少し辛抱せば同皇帝の賑恤を受
くるを得べく其時には甘い酒の一杯位は飮るべし
とて政府の殘虐も堪へる代り連邑擧つて遊び居る
と云ふ
◎尙ほあり これは甚だ不祥の風傳なり曰く江
原道の某地方に鄭氏なる者あり此頃天の命を蒙つ
て眞國王の位に卽き其百司百官を集むる處の大闕
をも同道中に建築し遠からず李氏の寶祚に代るべ
しと而して比の風說は東學黨の全羅道に勃興する
と同時に愈愈四方に傳播せり以上の風說如何にも
朝鮮の不開化を說明するが如くなれども亦以て朝
鮮人民が現在の政府に慊焉たらざるの一斑を知る
に足るべし