6月1日
●鷄林短信 去二十三日統禦營の兵卒四百名江
華嶋の兵卒五百名仁川より滊船に搭じて全羅道の
戰地へ向へり◎去二十三日我が帝國軍艦筑紫全羅
道の沿岸視察の爲め仁川を出發して同地に赴きた
り◎朝鮮兵士の意氣地なきは今更云ふ迄もなけれ
ど去月二十三日仁川出發の砌り淚を流して別離を
悲みつゝ出發せしもの多しと◎朝鮮兵士の內には
「政府に於て平常扶持米をも充分に支給せずして
非常の戰地に赴かしむ寧ろ東學黨に投じて彼黨の
爲め盡すこと可なり」と唱ふるものあり以て兵士
ど政府との關係を推知すべし◎西伯利亞鐵道の工
事完成の期追追近付くに就て韓廷は自國の地境附
▣危險なりとの念を感じ苦心一方ならずと云ふ◎
去四月十六日(韓曆)の朝陽に依れば禁府都事金興
集なるもの金玉均の父を處校せんが爲め忠淸道天
安郡に向ひたりとあり韓廷の殘酷なる一に何ぞ玆
に至る◎去四月十九日(同上)工曹判書たりし金鶴
鎭を以て全羅監司に任命せらる◎同日韓廷は內帑
壹萬兩(我が三百圓餘)を支出し以て全羅派出の兵
員に頒給せしむ◎全羅派出の兵員は頃日少しく勝
利を得進軍を爲せりとの報あり(五月二十六日午
前京城發)