6月2日
●東學黨の暴動 に就ては已に記載する所あり
しが一昨夜朝鮮在留人より當市の或方へ達したる
報に據れば征討軍中十中の三四は脫走して東徒に
與みし其勢益益熾にして容易に鎭定し得べくも
あらず殊に全羅道より米穀を京城へ貢ぐ折柄東徒
は早くも其貢米を掠奪し剩へ慶尙道の要害を占
領せしかば官軍の困難▣ふるに物なし是に於て政
府は一策を案じ從來の諸稅を除くの外新稅は一切
之を廢して民心を繫がんとの議起りしが東徒は早
くも之を聞き込みしものか部卒を戒めて嚴に掠奪
を禁じ稅率を輕くし只管人民の撫育に怠りなし彼
等は國王に對して怨を抱き居るにもあらず只だ閔
氏の專橫を憤り如何にもして之を斥けんとの決心
より此暴擧に出でしものなり今や同國の民心乖▣
し均しく國政に對して不滿を懷き居るもの多けれ
ば同黨に與みするもの多しと云ふ