6月4日
●東學黨の暴擧と朝鮮政府の廟議 朝鮮東學黨
の勢力益益猖獗を極め朝鮮政府も之れが防禦に
苦しみ大に困難を極めをる由は旣に記載する處な
れ共其後東學黨は日に益益勢力を增し全羅忠淸兩
道の如きは到る處に掠奪を事とし其戰地に臨み進
退▣引の巧みなる決して官兵の及ぶ所にあらず其
向ふ處恰かも破竹の如く出征の官兵常に敗を取り
しかば彼等は勢に乘じ官吏を視れば悉く捕縛し首
班に在る者は用捨なく殺戮し政府の建造物は或は
燒き或は破壞し其蓄ふる所の金穀兵器を奪掠して
其軍用に供し衣類を始め家具の如きは盡く貧民に
頒與して專ら人心を收攬する事を務め其揚言する
所は現政府を倒して善良なる新政府を組織せんと
するにあり勢斯の如くなるを以て朝鮮政府にては
到底獨力之れを鎭定する能はざるより此上は他國
の兵を藉るより外なしとて在廷の官僚日夜廟議を
疑らし或は日本政府に就て出兵を請ふべしと云ひ
或は支那政府に依賴せんと云ひ議論區區なる山な
るが若し廟議の決する日に至らば東洋問題の上に
於て多少の議論起るならんかなれ共聞く所によれ
ば我海陸軍にては最早充分の計畫準備は全く整ひ
居れりと云ふ